ギニア
2005.12.18(日)-23(金)
18日の夜、マッハ加藤氏が到着した。半年ぶりの再会で毎夜お互いの別れてからの旅の話やちょうど逆ルートで進んでいたのでこれからの情報交換などで話し込む。
昼は2人で観光・・・といいつつコナクリは小さな街だ。中心部のみと限定すれば2時間もあれば簡単に一周できてしまうだろう。そこで次に移動しやすくなる土日まではかなりの時間をネットカフェで費やすこととなってしまっていた。
コナクリ市街
この街の出発までに与えられた潤沢な時間、考える時間は十分にある。そしてネット環境の良さ。
私はかつて日本の友人に「せっかく珍しい所を周っているんだからブログでも書いてよ」と言われていた事を思い出した。
それまで私はブログを書くことにそれほど興味は無かった。
もしそういったものを作るのならこのアフリカ見聞録のトップページにも書いているように「それまでメール等で送っていた後続の知人達に当時情報の少なかったアフリカ中央部や西アフリカ等の情報をいつでも見る事が出来るように公開したい」
というのが基本的な考え方だった。
だが危険な国を抜けて落ち着き始めている今、どうせならブログにも手を出しても悪くは無いと考え始めていたのだ。
そこでWeb技術者でもある日本にいる知人に連絡を取ると、それならばという形でホームページの形式とってもらえることとなり、これにより情報ページ「ゴルコインフォ」のみならず、それまで旅行中のエピックである「激闘の記録」、そしてリアルタイムブログの「謎の日常」も併せて作成してもらえる事になったのだ。
旧鉄道駅、左はレストランで右は駅、乾してある洗濯ものがここが元駅だった事を如実に物語っている。
駅舎の裏側の景色
ネットカフェで彼にコンタクトを取って項目とイメージを伝え、それを彼が形にする。
「よくよく考えると自分はただ言っているだけ」で技術的な事は何一つしていないがイメージが形になるのは楽しい作業だった。
タイトルの「ゴルコ31」、これはたまたま好きだったゴルゴ13が世界中を回ってミッションを繰り広げていた事を思い出し、ならばこちらは世界中回って首都を訪れるという行動をミッションと名付けてゴルゴのパチ物を作ればいいやと思いっきり安易に考えた結果だ。
タイトルの候補はゴルコ13、ゴルゴ31等他にもあったがネットで調べていたら既に先駆者(旅行者ではないが)がいたためにパクれず、まだ誰も使っていなかった「ゴルコ31」に落ち着く事に。そしてデューク・東城はこれもデュークは外せないので東郷に漢字的に似たものを色々と試してネットでかぶらなかった東城に落ち着いたのだ。
駅舎の前、円筒状の建物は給水塔
項目別の内容ではゴルコインフォは過去に知人に送ったメールをコピペしただけなので簡単にアップできた。
そして激闘の記録、今となっては覚えていないが最初にアップしたのは5作も無かったような気がする。これもメールで知人に起こった出来事を送っていたのでその改良だ。
そしてここから始めるリアルタイムブログの「謎の日常」
これは当時知り合った旅行者から現地の雰囲気が記事で分からないようにして欲しいと言われていた事や私がモバイルパッカーでは無かった事、そしてあくまでも私の旅行中の近況報告(無事の報告)や暇潰し的な要素が強かったため旅行記で無くネタで書けばいいやとしてテキトーにアップする事にした。
こうして「ゴルコ31」の基本的な形が誕生したのだ。
当時のアバウトさ加減は「謎の日常」最初の記事、「コナクリにて任務遂行中(コナクリ:ギニア) 」 を見てもらえれば良くわかるだろう・・・
左端の写真は「謎の日常」の2作目でのチョイス
そして月日が過ぎ、HP開設から5年が過ぎようとしている今(この記事は日本帰国後の2010年12月に書いている)、改めて当時の事を思い出すと様々な思いが胸に去来する。
この5年に書いた記事は500を越えるかなりのボリュームだ。
これだけの分量を書くというのはかなりの時間と労力を費やしている。モバイルを持ち歩かず、海外のネットカフェだけで書き続けた事を考えると旅行界きっての「多作家」と言ってもいいだろう。尤も多作のほとんど全てが駄作となっている事実は否めないが・・・
そしてこの過ぎ去った歳月、書き続けてきた記事を読み直してこう考えざるを得ないだろう。
何事も物事は最初が肝心だ。
一番最初に何故もっと真面目にやろうとしなかったのか・・・・
と・・・
今更方向変換不可能である事も併せて伝えさせていただこうか・・・