ロシア
あらすじ
2004年12月、旅行界に突如燦然と輝く超新星の様に現れたエレガントなプロフェッショナル・ツーリストのデューク・東城。
ファースト・ミッションでは最も難易度が高いといわれるアフリカ大陸のほぼ全ての国を無傷で終えた事からもその旅行技術の確かさ、高さは窺い知れるだろう。
このように心・技・体の全てをハイレヴェルな状態で備え、あたかも機械の様に次々とターゲットを仕留めていくそのスタイルの余りにもの完璧さから知る人も、知らない人も旅行界ではいつしか私をこう呼ぶようになっていた。
そう、
”ミスター・パーフェクト”
と・・・
2006.09.23(土)
駆け抜けるように過した慌ただしいモスクワも今日で終わりだった。
シベリア鉄道で到着したヤロスラーヴリ駅の横にあるレニングラード駅へと向かう。
トラム、下はレニングラード駅
ロシアで有名な都市と言えばまずはモスクワだ、そしてその次に知られているのはサンクト・ペテルブルグだろう。
だが、私が次に目指したのは日本では余り聞きなれ慣れないフィンランドと国境を接するロシア連邦カレリア共和国の首都でもある”ペトロザヴォーツク”という都市だった。
レニングラード駅と鉄道。2段のベッドが一つの区画に並ぶ2等寝台のチケットを持っていた。
首都狙撃手である私がロシア第2の都市であるサンクト・ペテルブルグを前にこのペトロザヴォーツクを訪れる事にしたのには勿論理由がある。
世界遺産”キージ島”の存在がそれだ。
オルガ湖にあるこの島に建つ木造教会、中でもユネスコによって緊急修理必要建築に挙げられているにも関わらず専門家の誰一人として修復方法が分からない、人知超えた何かによって建てられた22個のドームを持つプレオブラジェーンスカヤ教会の幻想的な光景。持っていたガイドブックの写真のその姿に一発で魅了された私はどうしてもこの場所を訪れたくなっていたのだ。
先出しで申し訳ないがこれがそのプレオブラジェーンスカヤ教会、たくさんついてる木の玉葱ドームが一番の萌えポイント!
実を言うとセカンドミッション開始時からこの教会の存在は常に頭の中にあった。
ワールドカップのダイジェストを録るという絶対に逃せない録画があった為に8月中旬の出発となってしまったが、ペトロザヴォーツクからこの島へと湖で渡るフェリーがオルガ湖が凍結する10月以降はいけなくなる可能性がある。それもあってここまで私は駈足で来たのだ。
幸いにも今はまだ9月、秋に入ったので減便ににはなっているのだろうがまだ何とか間に合うシーズンだ。
ペトロザヴォーツク行の2等寝台はそれなりにスペースがあるので比較的快適に睡眠がとれる。起きてからしばらくは車窓から目に入る景色を眺め、目的地へ到着したのは09:00時の事だった・・・
2006.09.24(土)
ペトロザヴォーツク駅、下はコインロッカーと駅前の広場
到着してからすぐに荷物をコインロッカーに預け、煙草とチョコバーを買って動き始める、列車の中で既にシュミレーション済みの行動だ。駅からフェリー乗場まで離れてはいるものの歩いて行けない距離ではない。道中でさっき買ったばかりのチョコバーをつまみながらフェリー乗り場へと向かった。この先どう転ぶか分からない今、速度が一番重要だ、無駄にする時間など無い。
今回の計画の骨子はこれだ。
ペトロザヴォーツク自体にそれ程見所がある訳ではない、このままフェリーが今日運航しているようならチケットを取ってキージ島へ向かう。そしてこちらに戻ってきたら夜行列車で今度は次の目的地であるサンクト・ペテルブルクへと出発だ。夜行で来て夜行で抜ける”プランA”これが一番効率が良い。もちろん既にフェリーが出発していたならここに1泊し、明日キージを訪れて夜行で抜ける”プランB”というオプションはあるにせよ物価の高いロシアで必要のない宿泊はするつもりはないし、ここに来たのはキージ島の為だけだから出来ればそれは避けたい。
ただ何事もタイミングはある。フェリー乗場に行かなければプランAもプランBも始まらないしその先の帰結も分からないのだ。いずれにしても神クラスの非常に鋭い洞察力を持つこの私でも流石に千里眼までは持ち合わせていない、行ってみなければ分からない事もある。計画を立てたらそれに向かって行動する。そしてこういったことはフランス語で言う所のケ・セラ・セラ、後は”なるようになれ”だろう、そしてこのプロフェッショナルは何時だって”なるようにする漢”だった・・・
オルガ湖
大体30分ぐらいは歩いたのだろうか?
フェリー・ターミナルへ到着する。
ロシア語は話せないが“ミスター・パーフェクト”と呼ばれる私にはチケットを買う程度なら雑作も無い。筆談とジェスチャーと様々なテクニックを駆使して時間を聞くと本日は幸運にも”14:00”の便があるという事だ。
これで今日の行動は”プランA”へと決定する、私は迷わず往復チケットを購入し、一つ目の課題はクリアーとなった。
フェリー乗場とその周辺、ちなみにフェリーは高速の水中翼船という余り見ないタイプの物
次に向かったのはまた鉄道駅だ。都合の良い時間にフェリーのチケットが取れた事によって展望が一気に開けたので今度はサンクト・ペテルブルグ行の夜行列車のチケットが必要だ。勿論行く前から私に抜かりはない、到着時に既に今日と明日の夜行の出発の便が何時かぐらいは問合せていたのだ。
物事にはやり方がある、キージのチケットを取った後、実は今日の鉄道の便が無い等というアマチュアのやりがちなミステイクはこのプロフェッショナルには限っては無縁だ。
穏やかな湖面を湛えるオルガ湖
駅の窓口に行き矢継ぎ早に今度は”プラツカルタ”と呼ばれる3等寝台のチケットを購入する。幸いなことに一番下段のベッド(3段寝台は中段のベッドになると寝るときは寝づらいし人が起きると畳まれるので強制的に起きなければならない)が取れたのは朗報だった。
時刻はまだ11:00時、これで全ての課題がコンプリートされた。
しかし・・・
言葉の話せない国でこうまで予定通りに物事を進められるツーリストが私の他に居るのだろうか?到着して生まれて初めて見るロシア式のコインロッカーを難なく使い、予定通りにフェリーのチケットを買い、そして脱出の鉄道チケットまで押さえる。それも徒歩の移動の1時間を含めてたった2時間程度で・・・
文字にすると僅か数行足らずの行動だが、実際にそれを見知らぬ街でこうも容易くやってのけるのはこのプロフェッショナルならではのスーパー・テクニックと言って良いだろう。
それにファースト・プライオリティー(第1優先事項)であった”プランA”を 確実に遂行できる土壌を整えた運の良さも見逃せない。
心・技・体、それに運までつけ加わるのならばそれを形容するには”パーフェクト(完璧)”という言葉以外に当てはまる物は無いだろう。
そしてそれがこの”デューク・東城”という名のツーリストを指す事は言うまでもない事だろう。
出発の14:30時まではまだまだ十分に余裕がある。”時間のある限りは観光する”、ツーリストの鉄則に基づき、カレリア共和国の首都でもあるこのペトロザヴォーツクをしばらく散策しつつ時間を潰していく事にした。
連邦共和国の首都ながらどこかのどか・・・
この街の観光は”セカンド・プライオリティ(第2優先事項)”以下ではあるが私は伊達に“観光マシーン”と呼ばれている訳では無い。地図を見ながらそれなりに面白そうな物をピックアップして周る。
そう言えば街に見所の無いアフリカの各都市でも地図を見ながら何気ないモニュメントや一風変わった家、少し立派な建物等を見所にして散策を良くしていたものだ。アマチュアのツーリスト達が「街なんてどこも一緒」等したり顔で言っているのを聞くと「それはただ街の見方を知らないだけ」だというのが良く分かる。まあ私と彼らのレヴェルの差を考えるとそれは仕方のない事だろう。
一つ、誤解しないで欲しいが私は自らの能力を誇ったりするような低俗な漢ではないが、「謎の日常」にせよ「激闘の記録」にせよこの「見聞録シリーズ」にせよ多分にネタ的な表現を含んでいるので”私の持つ旅行技術の高さ”が分かり辛くなり、ややもすれば十把一絡げにただの旅行者と同じように見えてしまうのかもしれないがこうやって自らの旅行をネタに出来るのはその裏にある歴然とした技術の差があるからこそ可能になっているのだ。記事の中に常にオブラートに包まれているその部分が見えなければ旅行者たる事は勿論の事、この旅行記の読者にすらなる資格は無いだろう。
そう、ここで敢て他のツーリストにいうのなら「貴様らの能力が低い訳では無い、この私の持つ旅行術が高過ぎる」、たったそれだけの事なのだ。
街の見所を大体終えた頃、出発にはまだまだ時間が余っていた。それならばとローカルなネットカフェに寄る事にした。「次の目的地の最新情報の入手」が目的だ。ゴールに到着した時が新しいスタートの始まりだ。常に2手3手先の行動の為の布石を打ち続けるべきだろう。残念ながらパソコンは日本語仕様になっていなかったがウェブで日本語が読めるようにするサイトを手繰って必要な情報を得る。一つ一つのアクションに隙が無い、それがプロフェッショナルなツーリストだ。
ネットカフェで必要な情報を入手して時計を見ると14:30時の出発までまだ1時間程度は残っている。もう一度地図を見直して街の中心から少し離れた所にある見所を見てから船着場へと向かう事にした。
街中の映画館、ペトロザヴォーツク駅、そして郊外
大体20分前ぐらいにターミナルに着けばいいだろう。
見所と言っても写真に残すほどでもない物をみながら海岸沿いを歩いて向かう。時計を見るとまだ14:00前、出発時間まで優に30分以上ある。
キージ島。
14:30時に出発して戻るのはペトロザヴォーツクを出航した3時間後の17:30頃に出発になるので、木造教会をバックに夕陽という私の好むシチュエーションはちょっと厳しいかもしれないが、このオフシーズンでは考え得る限りのベストな条件だろう。
煙草にゆっくりと火を灯し、静かなオルガ湖を左手にゆっくりと進み。しばらくしてターミナルが見えてくる頃、丁度出発の30分前に差し掛かっていた・・・
『いよいよこれからだな・・・』
上がるテンションを抑えつつ次の行動をシュミレーションする。感情の抑制と強烈なまでの自制心、どれだけ心湧き踊るイベントでも”行動はクールに”がプロフェッショナル・ツーリストの鉄則だ。今までそうしてきたからこそ「観光マシーン、ミスター・パーフェクト」とまで呼ばれるようになってきたのだし、そしてこれからもそのスタイルを変えることは無いだろう。
ふと顔を上げると遠目にターミナルから出航する水中翼船が目に入る。
水中を浮きあがって滑るように高速で移動する水中翼船はこれから見るクラシカルな木造教会と対局を為す最先端技術の結晶というべきなのだろうか?その2つが同時に味わえる贅沢。ペトロザヴォーツクまでわざわざ足を運んだ甲斐があろうというものだ。
そのこれから私が乗る水中翼船は優雅でどこまでも美しく、このプロフェッショナルに相応しい物に思えていた・・・
『・・・』
『・・・・・・』
水中翼船が出発してから5分ぐらい過ぎてからだろうか?私の背中に突如悪寒が走る、何やら悪い予感、シックス・センシズを超えるセブン・センシズを持つ私はこういった予感を外す事はまずない。
頭の中で気付いた事を声に出して呟いてみる。
『あれっ?別の便や航路ってあったっけ・・・?』
『・・・』
『・・・・・・』
慌ててポケットに手を入れて持っているチケットを取り出して眺める。
『・・・』
『・・・・・・』
『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~・・・・!14:00時って書いてある・・・(T_T)』
これは一体どういう事だ?確か14:30時だと思っていたのに・・・
って事はさっき能天気に『あれがこれから俺が乗る水中翼船だ~カッコいい~ヽ(^o^)丿』とやっていたあれは本当に乗る予定だった便になるってことかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
冷水を浴びせかけられたように一気に精神状態が醒めていき、出航したならいまさらもうどうしようもないのだが取りあえず足早にターミナルを目指す。到着したターミナル最初にチケットを売ってくれたお姉さまがたまたまいて持っているチケットを見せるとややびっくりした表情で「行ったわよ」と教えてくれる。
それはそうだ。俺が乗る筈だった水中翼船の出発の姿を瞳に焼きつけていたのだ!
『くぅぉぉぉぉぉぉぉぉ~!!』
涙目になりながらも今持っているチケットのキャンセルをし明日のチケットを購入する。明日の出航は朝の09:00時、ここに一泊するとしたらホテルのチェックアウトが10:00時だとしてもその大分前に出なければならない、せめて今日と同じ14:00時の出発ならホテルで限界一杯までゆっくりと休んでから見に行けるのに・・・、それに早く街に戻ってくるなら夜行列車の出発まで恐らく午後一杯は何も無いこの街で時間を潰しながら待つ事になるのだろう。
金銭的な話で言えばちなみに今日の往復チケットは900ルーブル、翌朝のチケットは1100ルーブル、これに今日のキャンセル料が245ルーブル、損失額は445ルーブル(約2100円)にもなる、今日のチケット全額アウトでなかったのは幸運と思って良いのだろうがそれでも損失は馬鹿にはならない金額だ。
いずれにしても条件が極端に悪化した事は否めない事実だった。
『ノッ、ノォォォォォォォォォォ~!!!』
オルガ湖の湖面は相変わらず静かなままだが、私の心の中には荒波が立ち上がっていた・・・
オルガ湖、鳥もこうなるとなんの慰めにもならない。
取りあえず明日のチケットが取れたのでオルガ湖を離れて駅に戻る、ここでも今日の夜行列車のチケットをキャンセルして買い直さなければならない。サンクト行の夜行列車は300ルーブル、キャンセル料が139ルーブル(約650円)かかったが何とか明日のチケットを再購入する。だが今度取ったプラツカルタ(3等寝台)は残念ながら中段のベッドしか空いていなかった・・・
『・・・』
『・・・・・』
『あぅぅぅぅ~・・・』
『今日なら下段でのんびりだったのにぃ~・・・』
フェリーに引き続いてこちらも条件は悪化したがこのプロフェッショナルにこれ以上のやり様は無かった。私はコインロッカーで荷物を回収し宿を決める、何とかそれほど高くない450ルーブル(約2000円)の宿、それもシングルを見つけ荷物を置くと後はどっと疲れてしまっていた・・・
夕食
夕食を摂って部屋で煙草をふかす頃、ようやく気分も少しは落ち着いてきた。
モスクワから移動して完璧に手筈を整え後は出るだけというタイミングでまさか「30分時間を勘違いする」等という単純なトラップに引っ掛かり、こんな地方都市に一泊する羽目になろうとは、そして翌日の再セットアップは何とか出来た物の全ての条件(フェリーの出航時間、料金、3等寝台が中段しか空いてなかった)が明らかに今日より悪い物しか無かった事は・・・
あの時、オルガ湖の湖畔で私の目前には完璧な”プランA”がぶら下がっていた筈だった、だがそれがほんの些細なミステイクから空振りとなり”プランB”の、それも劣悪な条件ヴァージョンになるとは・・・
如何にこのプロフェッショナルと云えども余りにも予想外の結末だった。
だが、私には分かっている。そう、”これがトラベル(旅行)”だ・・・・
ペトロザヴォーツクで過す予定外の夜、私はホテルの一室の片隅で煙草とジュースを両手に所在なく咽び泣きながらこう思っていた。
『ミスター・パーフェクトとまで呼ばれたこのプロフェッショナルがボタンの掛け違えの様なミステイクをこんなイージーな場所で犯してしまうとは・・・』
観光マシーンの名を欲しい儘にした私にもまだ”人間”の部分が残っていた、そう解釈するしかないだろう。
そして私はまたこうも思う。
『キージ島の木造教会ではないが・・・人知を超えた何かがあの時私の上に働いていたに違いない。』
と・・・
今回の顛末、私が犯したミステイクとその原因、複合的な要素が様々に絡み合って起きた事ではあるが、この先に進む為、敢てこう結論付けようではないか。
『このプロフェッショナルが悪い訳ではない、ただ”生まれて来た時代が悪かった”だけだ』
と・・・