2022.09.13(火)
この記事を書いているのは2022年9月13日。
この西域見聞録は2021年の1月から書き始め、4ヶ月弱の旅行に約2年、旅行終了から実に15年も経過した後で完結した。
この期間、インターネットの普及にさらにスマホが加わり旅行技術が革新的に様変わりしたのは勿論、当時のグルジアが2015年にはジョージアと変わり、2020年には世界的なパンデミックであるコロナが流行り、ナゴルノ・カラバフ紛争(第2次)も起こり、また2021年に再度ウイグル問題がクローズアップされたり、世界は常に変化し続けている。
翻って旅行者は自分が訪れた一瞬を、主観で切り取る物見遊山な野次馬だ。
世界がどれだけ変化しようとも、そこには関与しない無責任な存在だ。
この見聞録も所詮自分用の記録だが、それが目的なので気にせず続けよう。
この西域見聞録、セカンド・ミッション・プラスワンは当初セカンド・ミッションで周るつもりだった中央アジア、カフカス諸国を日本からトルコまでの海・陸路でのシルクロード横断でしたくなり、始めたミッションだ。
期間は2007.06.26(火)~2007.10.30(火)までの127泊128日。
108ヶ国目から116ヶ国目の新規計8ヶ国を含む計11ヶ国の旅行となった。
当時の記憶を振り返ると様々な事が思い出される。
6月末、東京を出て神戸から陸路でのアジア、ユーラシア横断旅行者御用達で一度は乗ってみたかった新鑑真号で出航。2度目の中国本土は上海からスタート。ここから刻んで進むつもりが、一気に西安まで。
漢民族が大分浸食していたチベット自治州の州都ラサ、憧れの莫高窟と鳴沙山のある敦煌を経て中心街は漢民族に支配されているとしか思えないウイグル自治州の州都ウルムチ、文明交差点と言われるアラビア色、ロシア色の強いカシュガルへと抜ける。
中央アジアは。主とビシュケクで日本人旅行者と日本人宿でどんちゃんばかりしていたキルギルからスタート。
近代的な首都アスタナに驚き楽しんだカザフスタン。
印象の薄い首都ドゥシャンベより、ルート上の景色が良かったタジキスタン。
個人的に好きな首都タシュケントに、青の都サマルカンド、オアシス都市ブハラ、砂漠の中の聖都ヒバと観光名所を楽しんだウズベキスタン。
馬鹿らしくて楽しいトルクメンバシュの街、首都アシュガバードがあるトルクメニスタン
これらの国々はソビエトから分かれて出来ただけあって、どこか似たような雰囲気もありつつ、強烈な個性も持っていた。
トルクメニスタンのビザを取る関係上再訪したイラン。
カメラ禁止だが携帯では写真が撮れる不思議なエマームレザー廟のあるイスラム、シーア派の聖地マシュハド、ゾロアスター教の聖地ヤズド、世界の半分エスファハーン、首都テヘランは2度目ながら全て楽しかった。
そこからカフカス(コーカサス)へ
首都バクーは悪くないが物価が高いのですぐに抜けたアゼルバイジャン
首都トビリシ起点に国内を色々と周ったグルジア(現ジョージア)
アララト山よりミスアルメニアが印象的な首都エレバンのあるアルメニア
独立戦争の跡も激しい、自称独立国、ナゴルノカラバフ共和国。
訪れた景色の所為か?全般的に暗い印象だった。
最後はトルコのイスタンブールでシルクロードでのアジア横断が完成。
日本へドバイ経由で戻る。
今回はシルクロード横断のメジャールートだったので、日本人旅行者と一杯絡め、またかなりの期間を気のあう旅連れと周れたので楽さと楽しさ両方味わえた旅行だった。
前回2020年、東欧見聞録の終わりにコロナ下で旅行に行けずと書いたが、現在も引き続き海外に自由に行ける状況ではない。
この状況を利用してはじめた年1回の国内車旅行を続けつつ事態が落ち着く時を待とうではないか。
秋葉原(2007年)
浅草(2007年)
都庁ビル(2007年)