第13話 激闘!コートジボワール!!(舞台国:コートジボワール)2010.11.01Photo!

Category: 激闘の記録!

舞台国  コートジボワール



あらすじ

 現在内戦中であり多くの旅行者が入国を尻込みし、大使館情報も危険度マックスの4(退避勧告)を誇るコートジボアール、何を血迷ったか入国に挑む事を決めたデューク東城、首尾よく入国は果たしたもののブルキナファソを目指して出国するためには反政府の支配地域である北部を通過しないければいけない。

 この危険地帯を抜け、無事ブルキナファソへ辿り着くことは出来るのか?

 どうする!ゴルコサーティーワン!!

舞台マップ





第1章 序章

 正直なところプロフェッショナルとしてこのデューク東城、入国に関しては関係者筋からの情報(カメルーンで会った日本人旅行者が2,3カ月前ではあるがアビジャンまでガーナから入って往復していたという)を掴んでいたので外務省の情報が旅行にはほぼ最悪であったこともそんなには気にはしていなかった。ガーナに到着してガーナの国営バスが平常どおり営業されていたらそんなに悩むことも無いだろう。

 しかし、首都に行くことと出国方法を考えること、この2つにはプロとしては少なからずの逡巡がついてまわった。首都であるヤムスクロ周辺地域では昨年末に大規模な半仏デモがあったし、北と西の地域にはには現政権の反対勢力の拠点があり国連が信頼線などというものを設けている。

 「日本大使館の情報を気にしてはいない」

 と、いったところで今まで情報の無い国なら自分で集めて何とかやってきた私ではあるが、在外公館のある国で発出される情報がここまで「ほぼ最悪の1歩手前」というのは初めてである。

 一応はトライしてみるもののここはプロとしての客観的な考えとしては“ここはどう見てもコートジを突きぬけてブルキナファソに行く事は諦めてガーナに戻る”しか道はなさそうな感触であった。



第2章 ガーナにて

 ガーナに到着してからはすぐにアビジャン行きのSTCBus(ガーナ国営バス)が生きているかどうかを確認する。当然その他にも日本大使館やら現地のツーリストインフォやらを回り情報収集を心がける。

 プロフェッショナルとしては完璧な手順だ。

ガーナ、アクラの街並

 コートジで延期となった選挙予定日は10/30日、この日付の前後で何か起こる可能性が高いと日本大使館の情報ではあり、「止めはしませんが是非とも止めて下さい」という忠告もあったが、国営バスは毎日運行されており、また、そのほかの情報もあわせて考えるとアビジャンまでは特に行って問題はなさそうだ。



第3章 潜入!コートジボアール!!(2005年11月2日)

 結局、プロフェッショナルとして冷徹に判断を繰り返した挙句、ガーナの首都のアクラからの直行バスは使わず、11月2日(水)、世界遺産のあるケープコーストという街から、ミニバスを乗り継いでの入国となった。キーワードとしては『だってこっちの方が安かったんだもん』の一語に尽きるであろう。

安かったミニバスの一つ。


 過去の情報ノートでは国境で賄賂の請求があったそうだがそれも無くやけにフレンドリーな係が色々と親切に教えてくれた。こちらの目標はブルキナへコートジを縦断して抜ける事だったのでその情報も聞いたが色好い返事は無くガーナに戻って行くことを勧められる。

 ケープコーストからミニバスと大型バス4回乗り継いだので実質は6時間ぐらいの道のりが待ち時間などで結構かかり、アビジャンのトレッシュビル(下町)に到着したのは朝0800時に宿を出たのに2000時頃となってしまった。

アビジャンまでの道中で



 到着したらタクシーを借り切ってロンプラで当たりをつけていた宿に向かう。その宿が問題なく泊まれたのと一つだけ同じ料金でシャワー、トイレ付きという「当たり部屋」に宿泊することが出来たのでまあ幸先の良い出足といえるだろう。


第4章 静寂が支配する街!アビジャン(2005年11月3日)

 翌日(木曜日)、ちょっと疲れていたが情報を取るなら平日に勝負を賭けるしかないので疲労している体に鞭打って大手バス会社を当たってみる。

 ブルキナ行きのバスはガーナ経由、直接国内の北へは抜けられないらしい。すぐそばに鉄道駅もあり以前ブルキナへの鉄道がやっていたということも知っていたので、取りあえずは聞いてみようかと思い鉄道駅に立ち入る。それにアフリカでは鉄道が珍しいのであれば利用するしないはともかく必ず立ち寄るようにもしている。

 たいして期待もしていなかった鉄道駅で意外な事が判明する。週3便きっちりと鉄道は生きておりブルキナへはこれでいけるということだ。「安全か?」としつこく聞く私に「ノープロブレム」と笑顔で答えられる。おまけにポリスにミリタリーが同行するらしい。

 これには少し参ってしまう。

 これで抜けられるなら私が作っておいた(コートジ抜けられませんでした)ストーリーは無駄足になってしまう。以前中央アフリカに入国した際も車列に護衛がつくと言われて蓋を開けてみると全く護衛など無く、ヒッチしたトラックが途中で故障して路上で車中泊した経験のある私だがここはその言葉をそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。

 まあ、ただ運行されているだけならそれが安全の保障とはならないと思い情報を集めようとプラトー地区(街の中心)へと足を運ぶ。

 今日、少し気になっていたことは平日だというのに下町のトレッシュビルでさえ極端に人が少なかったことだ。昨日到着したときはそれなりの喧騒が見て取れたのに不思議なぐらいにひっそりとしている。

 トレッシュビルからプラトーへは強盗の多いことで有名な橋を渡るのだがこの異様なまでの人の少なさを見て取った私はたまたま来た市内の路線バスに乗り、橋を越えてプラトー地区へと向かうこととなった。二つの地域をつなぐこの路線バスでさえガラガラにすいている。

トレッシュビル地区、人影もまばら・・・



 『戒厳令でも出ているのか?」 』


 今まで色々な都市を見てきた私にはこの異様なまでの静けさの中に只ならぬものを感じ取っていた。


橋を渡り終えた直後のプラトー地区
 


 街の中心であるプラトーへついてみてさらに愕然とする。立派なビルが立ち並びハイソな商店こそ多いものも殆ど営業していない。人もさらにすくなく時折警備員を見かける程度だ。

 『ちっ、この俺としたことがコートジボアールの情勢を少し甘く見すぎていたようだ。これが内戦中の国なのか?ここまでの不気味さを味わうのは初めてだ。こんな状況なら一刻も早く抜け出す算段をつけなければ』

 と、恐怖におののき藁にもすがる思いで観光案内所にむかう。

 『ここなら旅行者も行きやすいし、少しは何か良い情報でも入るかもしれない。』

 と思い人通りの途絶えた大通りを歩んで行く。

 観光案内所のある共和国広場の前もやはり異様な静けさだ。航空会社のオフィスすら全く営業している気配すらない。観光案内所は大きなビルにはいっていて一度警備員に場所を聞くと違う入り口を示される。そして辿り着いた次の入り口の警備員からの情報で衝撃的な事実が判明する。



 『え!? ラマダン(イスラム教徒の断食の月間)明けで今日はお休みなの???」』



 何のことは無いガイドブックには祝日としてのってなかったが妙な人気の無さや街の静けさもこれなら説明が行く。

 こいつは俺の負けだ。

 「明日またおいでよ、俺はここにいるからさ」

 と警備員に親切に言われ、とどめに

 「今日は休みで人がいないからこの辺りは危険だよ」

 と笑顔で忠告されてしまう。

 いや、休日で人が少ないから襲われても助けがこないなんてまあ常識的な危険だなと妙に得心してしまった。

 しかし午前中から色々と頑張っていたが祝日なら仕方ない。結局何もやる事がなくなったのでとりあえず西アフリカ一番の高級ホテルを見に行ったり祝日でも営業している郊外のショッピングセンターへ行ったりして時間を潰す。しかし完璧に計算してアビジャン入りしたのにうまくいくことは中々に無いもんだ。


第5章 なんてことはなかった普通のアビジャン(11月4日―6日)

 初日のミスはあったもののそれ以降は精力的に動くことになる。

 リベリアまでの航空券は値段こそ350?くらいと安いものの週1便という不便さで却下とする。

 首都のヤムスクロへのルートは日本大使館こそ「今はナイジェリアの大統領が来て特別に警備が強化されているかもしれない」と止められて、さらに「情勢が分かってきたのなら一刻も早くコートジを立ち去るべき」という忠告も受けはしたが、警備が強化されているなら逆に「検問こそうっとおしいもののかえって安全だ」と判断し行くことにする。鉄道の件はヤムスクロで北へ抜けるバスのルートがあるかを調べてから判断すればいいだろう。

 それにしてもアビジャンは久々に見た洗練された都会で街歩きも楽しい。街の中心プラトー地区には高層ビルが立ち並び、商店もおしゃれなものが多く、中々いい感じをかもし出しているし、大きな教会がありそれが変わった形をしており見応えがある。

トレッシュビルより眺めたプラトー地区


そしてデザイン教会




 また本屋も南アを除けばここがアフリカ最大(といっても紀伊国屋の1/5-1/10ぐらいだろうが)というものがあってこれにはかなり吃驚もさせられた。

 アビジャンは潟(ラグーン)に沿って作られた都市なので土曜日にはラグーンを周遊するフェリーのツアーなどやっていて、私が普段はしないようなこんなツアーにわざわざ参加をしてアビジャンを色々な角度から眺めてアビジャンを大満喫することとなった。

※ラグーン周遊ツアーのフェリー上から撮影したアビジャンのプラトー地区




 少々気になった事はと言えば情勢が情勢なのでこんな時期に来る旅行者はついぞ見かけなかったことと、時おり「今戦争中なのに君は来たのかい?」といわれてしまったことだ。こいつは難しいことだが「情勢が少しでも落ち着いていて可能性があるなら入国してしまう」というのはおそらく「今を逃すともう一生ここに来る事は無い」と思ってしまう精神状態が作りだしてしまうことであろう。



第6章 首都ヤムスクロ行(11月7日)

 首都であるヤムスクロ、ここには一つの大使館もそして自国の省庁すらない。前大統領の出生地ということで制定された都市である。ロンプラによるとここにはなんでもすごい教会があるらしいといったぐらいの事しか載ってはいなかった。アビジャンからの200kmの道のりで検問が5回あり毎回下車してパスポートを見せるのが面倒だったぐらいで賄賂の請求等も無く比較的のんびりと到着した。

 ついてみて吃驚したのがやけにデカイ教会がかなり離れたところから頭だけポコッと見えたことである。

頭だけボコッと見える教会



 それにここは正直言ってちょっと栄えた田舎町といったところが表現の限界なのにそこに14階建ての高級ホテルがありフォンダシオン(国際会議場のような物)という建物がある。

 そしてとどめに彼らが世界最大という教会だ。後で中に入ったらパリのノートルダムとの比較やバチカンの教会との比較の絵があり「この教会が世界一デカイ!!」と示している。

 もし日本にいてどっかの片田舎に不自然にサンシャイン60と日本武道館と江戸城がたっていたらどんな気持ちになるだろうか?ここまでに不均衡な作りをした都市は中々に類を見ない。

※ホテルから眺めた首都ヤムスクロの全景 どうみても田舎...



※ヤムスクロ3大建築 プレジデントホテル(写真上)、フォンダシオン(会議場)(写真中)、バシリカ(教会)(写真下)..
こんな“田舎”にいらねえだろう、こんなもん...!
 








 私は到着早々この不思議な気持ちを抑えきれずに午後半日街を歩きまわって見所である全部の建物をみて回り、さらに高級ホテルでたった200円で特注できるアイスコーヒーで昼の全景と夜の夜景を堪能することが出来、大満足であった。




 また、ヤムスクロではもう一つ確認したいことがあって以前はここが基点で北の国(マリやブルキナ)へ抜ける直行の大型バスがあったのだが結局今は全滅!情勢は良くないことはこれではっきりした。

 しかし不思議なことに鉄道だけは「乗るのを止めなさい」と忠告をされず、むしろ「鉄道は安全だからそれで行ってきなよ」と言われた事である。

 『北へ抜けるには鉄道しかないのか』

 と悩みつつ、未だに「ガーナに戻る」という考えも捨てきれないまま、まんじりとも知れない夜を迎えることとなった。


第7章 アビジャン再び

 ヤムスクロの泊まっていたホテルで夜散々悩んだが結局どうするか「コイントス」ではないが賭けで決めることとする。

 賭けは単純で

 『ヤムスクロを出てアビジャンについてその日のうちに翌日の1等にチケットが購入できたらやってみよう』

 ということである。

 「北へはバスでは抜けられないが鉄道なら抜けられる」

 と言う半ばギャンブルにも近いような事を決心するには何か馬鹿げた事に身を任せる事が必要だった。

 『明日のチケットが今日買えたらそれがゴーサインだ』

 と何の根拠も無く決心を決める。

 11月8日(月)の1000時頃にヤムスクロを出発、アビジャンへは1500時頃に到着。

 そのまま鉄道駅に行くと実にあっけなく明日出発のチケットを購入することが出来た。

 本意なのかそうでないのかは自分でも未だに分からないまま。危険度4の地域にこれでソマリランドに続いて2回目の侵入となることになった。

アビジャン最後の晩餐、ローカルレストランのLe Vieuxにて、地元の人でにぎわっている。食べているのはリ・ソースと呼ばれる物の一種。
 




第8章 激闘!! コートジボワール脱出!!(11月8日―9日)

前言 
 この2日間にわたって私の経験したことは他の旅行者では決して経験できないことであり私の今までの旅行の中で中央アフリカ共和国の入国やコンゴ共和国を陸路で抜けたとき以上に精神的にもっとも苦しかった2日間といっても過言ではない。それだけに思い入れも深いし、その苦労は抜けたときのうれしさと相俟って終生忘れられない思い出となった。ここではその詳細を伝えたいと思う。


デューク・東城を最大の危地に陥れる事となったコートジボワール―ブルキナファソ間国際鉄道、乗り心地は中々良かった。



 始発駅であるトレッシュビルのラガールへ0800頃出発は1030予定だが1等なのに座席指定がされていないので少々早く来て万全の態勢を作り上げる。目論見どおり自分の目指す窓際の座席をキープしてくつろぎの態勢に入る。以前聞いていたミリタリーも一等車両(一両しか一等は無い、ちなみにビュッフェ付き)に6人同乗する。「どうやらガードは固そうだ」少しほっとする。

この先はどこに・・・ってブルキナだ。
 


 列車はアフリカにしては優秀でたった10分遅れただけで1040には駅を出発、1等座席も2等座席もそれほど込んでなく特に私なんぞは2座席占領してしまっていた。すいていることを喜ぶべきかそれとも「皆情勢を懸念して避けている」として憂えるべきなのか私には判断できなかった。

 列車のスピードは想像以上に遅くヤムスクロよりやや南に位置する町ディオンボクロに1700到着、ここで吃驚したことにここでアビジャンから同乗していた兵士が全員降りていってしまう。新しく乗ってくる兵士もいない。「ミリタリーガード」はもうすでにこの列車の手中から離れていってしまった。

アビジャンを出てからの景色



途中で見たモスク、尖塔の数が多い



 『うーん、こいつは計算外だ』

 それに停車駅の多さを考慮したところでこれは遅すぎるといわざるをえない。バスなら3時間くらいの距離を8時間だ。それに反対勢力の拠点と言われるボアウケへはできれば早く抜けたいと思っていたのにこれではいつそこまで到達するのかすら分からない。


道中の大半はこんな感じの景色



途中の村



途中駅にて撮影




 緊張と不安は徐々に高まってくる。

 日が暮れてから一度駅は忘れてしまったがフランス軍の兵士が車内を点検に来た。情報によると国連軍が地域上に信頼線と言うものを設けているらしいが現地兵とは明らかに違う装備や燦然と肩に輝くフランス国旗のエンブレムがこの場所が正にその「信頼線」である事を如実に物語っている。

 『ここからが真の危険な旅の入口だ...』

 私の体の中に緊張感が駆け抜け、これからの行く手の困難さを考えると心細くなり始めていた。

 そしてその後カンというボウアケ手前の駅で兵士がパスポートチェックに来て乗客が100セーファー(約20円)づつ支払っている。彼らが反体制側かどうかは分からないが私も皆にならって100のコインを兵士の手に渡す。同乗していた兵士のいない今、不安な気持ちは拭いようも無い。

 緊張感はマックスに達している。次はいよいよボウアケだ。

列車内で摂った食事




第9章:反政府の拠点ボウアケ

 最も緊張したボウアケへは2300時という深夜に到着。地図で言うとちょうどコートジボワールの真ん中辺りにあるこの都市は反対勢力の拠点として昨年政府軍から爆撃を受けた場所としても知られている。国連が引いた信頼線上の都市であり列車に乗ってるとはいえここは否が応でも慎重にならざるを得ない。

 しかしここでプロフェッショナルとしては臆病になっているだけでよいのだろうか?

 慎重にそして大胆に行かなければ任務は成功しない。

 ボアウケには深夜0000時ごろに到着した。


 デューク・東郷ならこのボウアケで依頼人の一人と密会し、

 「先ずは用件でも聞こうか...」

 等と言っていることだろう。


 こちらもデューク東城として負けてはいられない

 『よーし!!』

 『先ずは用便でもしようか・・・』

 と呟き、駅に降り立ちアフリカでは誰でもやっているようにその辺で「立ちション」をする...

 立ちションしながらも周囲に気を配り、反政府軍の拠点と言われるこのボウアケの様子を伺う事も当然忘れていない。暗くて何がなんだか全く見えなかったが、プロとして完璧な行動だろう。

 すっきりしたところで「タバコでも吸うか」とポケットの中にある煙草をまさぐり始めたとき不意に兵隊に呼び止められる。どうやら身分証の点検らしい。前の駅でも車内に点検に来ていたのでそんなに疑うことなくパスポートを見せると怪訝なことに私の手に戻そうとしない。

 『こいつはちょっと変な感じだ』

 と思いつつ彼のフランス語を聞いているとどうやら

 「立ちションは禁止だ。拘束されるか、罰金を支払え」

 ということらしい。

 アビジャンですらその辺で立ちションしてる奴はいたしその他の駅は言うに及ばずだ。だが「そういえばボウアケで立ちションしている奴はまだ見てなかったな」と気づく。

 『こいつは参った』と思いつつ『いくらだ?』ときくと

 「5000セーファー(約1000円)」といわれる。

 賄賂(見逃し料)っぽいがそれがどうか分からないので「レシートを出せ」といったり「高すぎるだろう」と値切ろうともしてみたが金額は一向に変わらない。

 ちょっと時間が経過してこのままここでこのままスタックしてもしょうがないし金額が変わらないならそれは罰金で正当な額なのかと思い始める。

 それが正当な額で罰金としてならこちらは呑むしかない。そう思って5000セーファー札を渡しパスポートを取り返す。

 お金を渡すとと向こうは「これで終わりだ」とジェスチャーで返してくる。


 『コイツハヤラレタ...』


 日本でも警察が誰かをスピード違反でつかまえ、罰金を払わせて領収証が無かったらそれは明らかな賄賂だ。それに奴は俺以外の人間が近くに来るのを嫌がっていたし遠ざけていた。

 すべてのパズルが解けた今、利口になって5000(約1000円です)ですんでよかったと考えるべきなのだろうか?

 しかし1食ローカルレストランで500セーファー(約100円)で食える国でいくらなんでも5000(しつこいけど約1000円です)は法外だ。

 とはいってもここはボウアケだ!

 アビジャンにある日本大使館からはアビジャン以外の地域で何かあっても助力することは出来ないと既に言明されている。ここは仕方なく涙を呑むしかないのか?と心の中は乱れに乱れる。そして私は少し力を無くしつつ列車の入り口の前で煙草を吸いながら考え込んでしまっていた。

 少し間が空いて2、3分して奴が私の目の前に来る。無駄だとは分かっていたがそれでも最後と思い「レシートは無いのか?」と聞くと奴は強気に「さっきの件はこれで終わりだ」とジェスチャーをしてくる。そしてその時に今まで溜め込んでいた何かが私の中ではじけてしまった。

 『そうだ奴は俺から5000も不当に巻き上げている、食事10回分の大金だ!現地の人間から見れば吃驚するような金額だ!!立ちションの罰金なら仕方ないが見逃し料にしては高すぎる、こいつの私腹を俺の金で肥やさせるのは気が済まん」

それに

「払った金が戻ってこないのはもう明らかだがこのままコイツに巻き上げられたばかりじゃプロとしてこの俺様の気が治まらん。こうなったら俺の今までの人生を賭けてコイツに嫌がらせをしてやる』


 『よーし、無辜の乗客たちよ!”この俺様の命を賭けた嫌がらせ”特とご照覧あれ!!』


 とばかりに決意も固く、私は周囲に乗客がいるのを確かめてから大きなジェスチャーと大きな声で

 『いいや終わりじゃないぜ!立ちションして5000かい?そんな話はあり得ないだろう!罰金なら領収証をよこせよ!!』

 と絡んで行く。

 いい感じだ。

 騒ぎを聞いた他の乗客も集まりだし、5000私が巻き上げられた事がこうして明るみに出て次第に相手の形勢が悪くなる。

 今や私は「ちょっとしたスター」である。私の言う「5000セーファー」の台詞一つ一つに周りの皆も呼応して一様に「ほーう5000もねぇ」という顔つきになって事の成り行きを見守っている。

 『ようし、もう一押しだ』

 と、思った頃に騒ぎを聞きつけた別の兵隊がやって来る。

 「お前は5000もこいつに払ったのか?」

 と聞いてきたので。

 『そうだ、立ちションしたら5000払わされた!』

 と答える。うーんどうやらコイツは味方に引き込めそうだ...

 彼は念を入れるかのように

 「何?立ちションして払ったのか?」

 と私に確認する。

 『そうだ、だからレシートをだせ...』

 コツは金を返せとあくまでも言わない事だ、正統な罰金ならキチンと払う準備があることをアピールする事が重要だ。そしてこのお金が正規の物でないなら正義は私の元にある...、うまくいけばさっき払ったお金も私に返ってくることであろう...

物事が良好な方向に進もうとしている予感を確信しながらこの情勢を生かそうとする。そして

 『よーし、とどめを刺してくれるわ!』

とばかりにテンションがあがり始めた矢先に、事態が急変する。

 後から来た兵士が

 「そうか!お前は立ちションをしたのか!!」

 と再度私に確認する

 『そうだ、それで金を巻き上げられた、5000だぜ5000!アンタだって酷い話だと思うだろうよ!!』

 そう言うと、彼は急に私に手をかけてどこかに連れて行こうとし始める。

 『へっ...??』

 今度は兵士が私に向かって

 「立ちションしたならシェフ(駅長)のところに出頭しろ!!」

 というようなことをはっきりと伝えてきた。

 「...???」

 『と言う事は...!!!』


 『ヤッ、ヤバイ!!今度は5000の方じゃなく(立ちション)の方が問題になりやがった!』

 どうやら今の私は「ちょっとした軽犯罪者」になってしまったようである。


 こんな所で連行されてはたまったもんじゃない!“人生を賭けた嫌がらせ”こいつはちょっとやりすぎてしまったようだ。さっき決めた「固い決意」とやらもどこかへ飛んで行ってしまう。

 頭を冷やして冷静になって考えてみよう!

 『たかだか1000円で揉めてる場合じゃない、日本では千代田区で路上喫煙したら2000円の罰金だ!それに高校生でも2時間バイトすればお釣りの出てくる金額だ!!立ちションをしたこちらが“分”が悪い!少しは大人になった方がいいな』

 と思い直す。

 こんな時に「プロフェッショナル」として取るべき方法は一つだ。

 “36計逃げるにしかず”である。

 ちょっとした隙を見つけ手をふりほどき靴紐を直すフリをしながら一気に車内に駆け込む。いつ出発するか分からない列車を離れて連行されるのはどう考えてもリスキーだ。おまけに列車の出発がいつかは俺には良く分からん...

 外では私から金を受け取った奴と後から兵士の怒鳴り声が聞こえてくる。「もうどうでもいいから発車しやがれ」と内心ドギマキしながら思いつつ、車内では「立ちションで5000も巻き上げられた」とアピールして同情を買うことを忘れなかったということは言うまでも無いだろう。

 外での喧騒がやんで20分ぐらいしてからだろうか?男が一人有無を言わせぬ口調で私を呼びにくる。

 『ちっ、立ちションぐらいでここで揉めとくんじゃなかった』

 と思いつつ同行して外に出ると一目で分かる紺色の制服に身を包んだ駅長と他に先ほどの兵士を合わせて合計7人ぐらい私を待ち構えている。

 “連行に応じなかった生意気なジャップ”“立ちションをして揉めたセコイ男”に何か仕掛けるには十分すぎるほどの人数だ。拳銃や小銃まで御丁寧に用意していやがるし、おまけに乗客も遠ざけられている。

 ここはおとなしく従いながら最悪は強行突破して “列車に逃げ込んで籠城”しかないと思い覚悟を固める。


 『どうやら今回の旅で最大の危機に、今私は陥っているらしい...』


 駅長は英語が片言で喋れる通訳を介して私に説明を始める。何とか理解したことはどうやら

 「駅公舎に向けて立ちションをしたら手錠をかけて連行され監獄に入ることになる」

 といった話である。

 『...』

 薄々勘付いてはいたがそいつは酷い事実だ。

 まさかアフリカで...、それもこのボウアケで...、アフリカでいいことなんてあまり無いけど「立ちションフリー大陸」と言う事実(注:当人の思い込みで全ての場所フリーと言うわけでは当然ありません)が何度私の尿意を救ってくれていた事か...、しかしそれもここでは通用しないなんて...

 こうなったらこっちもやるしかない。

 このまま連行されては適わないのでここは喧嘩するしかないと決心し、さっきはこちらが言われた台詞を投げつける

 『俺は5000払ったぜ。もう終わりだ!』

 と...

 これでだめならあきらめるしかない。この危険地帯、中でも内戦中のコートジボアールの反政府軍の拠点ボウアケで立ちションして連行された「立ちション自爆男」として旅行者史上にその有名を轟かすしかなくなってしまう。

 何よりも「アフリカで立ちションして連行」なんて格好悪すぎるのが難点だ!

 おそるおそる相手の反応を伺うと

 「いいや、終わっちゃいないぜ」

 と答えが返ってくる。

 『やっぱりダメなのか...こんなところでとんだ間抜けを踏だもんだ』

 アンゴラ、両コンゴ、中央アフリカ、チャド、ナイジェリア・・・

 危険と言われるどんな国でも「チキンこそが命を救う」を信念に上手く立ち回ってきたのに..

 そしてコートジボワールでもアビジャン駅を始め、途中の通過駅でも何度も何度も外に出て立ちションしてきたのに...

 半ばあきらめながらこの際連行しようものなら自暴自棄になった挙句に暴れて車内に逃げ込んで亀のように固まってやる、とやけになりかけた頃、先程の台詞に続けて新たな言葉が覆いかぶさっていく。

 「終わりじゃあない、今から彼にさっき君が渡した5000を君に返させる、確かに君のしたことはいけないことで本来は連行されることだ。しかしこれを見逃すにしても5000は大きすぎる金額だから彼が返したお金の中から君の払える分を彼に払って、彼が見なかった事にしてあげよう」

 『...え!?』

 『お代官様!それでよろしいので...』


 その内容に非は無い。

 コートジ版「大岡裁き」と言ったところであろうか。駅側は本来連行すべき私を取り逃がし、賄賂を巻き上げた彼はその巻き上げたと思った金から幾らか損をする。そして私は見逃し料として幾らかを損する。多少のこじつけはあるが「3方1両損」とはこの事なのだろうか??

 私としては一度は完全にあきらめたお金だったのに、ただ金額が大きくて(くどいですけどたったの1000円です)悔しいから絡んでいただけという点も否めないので駅長からの申し出は正に渡りに船だった。

 私から金を巻き上げた奴は渋々と私に金を返す。

 『こいつにこれからいくら渡すか?』

 ここでこれ以上のヘマは出来ないので判断に迷うところだったが金を受け取って私も一番小額紙幣である1000セーファー札(約2?です)を1枚奴に手渡すと周りの人間は笑顔でうなずき納得をしている。

 私から金を巻き上げた奴は悔しそうだったにしていた...

 私の口からフッと溜息がもれる...

 『どうやらここは上手く切り抜けたらしい...」』



第10章 危険度4!その深奥へ...

 しかしこれからが危険度4(退避勧告)といわれる地域の本番だ。ボウアケではヘマをやらかしたがここから先は気を抜けない。

 列車は日付が変わり翌日の0000時に出発、否が応でも緊張が高まる。

 ただ列車に乗って通過するだけだが本当に無事に向ける事が出来るのか?列車に何かあった際には1秒の遅れも命の危険にに関わってくる!絶対に目をそらしてはいけない!そして絶対に緊張を解いてはいけない!!

 人生の終焉を例えここで迎える事になろうともその刹那を見逃してはならないのである。




 『ぐぅぐぅぐぅ~』

 『はっ!いかん、今は朝の0400時か、いかんどうやら緊張が高まりすぎて熟睡したらしい。まだコートジボアールか...』

 しかしこの私としたことが疲労程度で寝てしまうなどとは...この先はもう休めない、しっかりとこの目を見開いて何が起こるか見てやろうではないか...



 『ぐぅぐぅぐぅ、すや~、スピィ~...』

 『はっ!いかあんいかあん、今は0800時か、やれやれ結局寝続けたらしい。しかしまだコートジボアールか...』

 結局8時間近く熟睡したためにその後は寝る事はなかったもののこれまでの周りなど何も見てはいなかった...

 まあ「適切な休養をとることにより体力を回復させる」という事はプロとして当然なのでこれはこれでよいのだが「寝るのに適切な時期」でなかったことは自明の理であろうか...


 0930時、不意に兵士が列車に乗り込んでパスポートを回収する。旅行者にとってパスポートは命と金の次に大事にしなければいけないもので、この不透明な状況のまま手放すのは気が進まなかったが相手は有無を言わせない。

 まあでもどうやら出国らしい。しかし今まで見た兵士と明らかに軍服が違うのは反政府側の証拠だろうか?悪い予感が高まる。国境を越えるまで、出国を果たしてブルキナへ入国するまで一瞬たりとも油断は出来ない。

 預けたパスポートに一抹の不安を抱きつつニャンゴロコというイミグレのある駅に到着する。しかしそれにしても何かがおかしい。雰囲気が違いすぎるのである。反政府軍が支配しているにしてはなんとなくのどかだ。

 『こいつは少し変だ』

 と地図を確認して愕然とする。



 『どうやらもう入国してしまっているらしい...』



 あわてて他の乗客に確認する。昨日のボアウケの真相を知らないものは「5000も巻き上げられたかわいそうな旅行者」ということで親切に

 「ブルキナだよ」

 と教えてくれる。

 『...』

 『いやっ?それにしても一体何時出国したんだ??出国スタンプも貰ってないのに入国は大丈夫なのか???』


 私はあわててイミグレに出頭する。

 既に何の問題も無くパスポートに入国スタンプが押されておりそれを賄賂請求も無く受け取れた。

 ここでふっと気を抜いて溜息をつき頭の中を整理する。

 『どうやら本当にいつの間にか出国してしまったらしい』

 と...


※いつの間にか潜入していたブルキナファソのニャンゴロコ駅にて...苦闘を共にした戦友の鉄道を撮影


車両の連結と車内
 

この先は一体どこに・・・ってボボか!




 入国の手続きで3時間ほどかかったもののその後は何も無く列車は進む

道中の景色




何も無い所に駅が・・・




 目的地のボボ・デュラッソへは1500時頃に到着、情勢の厳しかった危険度最大地域、コートジボワールでの私の旅はようやく終わりを迎えた。

到着したボボ・デュラッソの駅、何とも立派なデザイン



第11章 エピローグ

 しかし今回は色々あったのできつかった。コートジボワール、“退避勧告”を示すその危険度4の恐ろしさとは今落ち着いて考えると良く理解できる。

 1.反政府軍の拠点といわれるボウアケで立ちションしたら連行されて監獄行きになること。
 2.そしていつ国境を越えたかもプロたる私に気付かせず、出国スタンプすら貰えなかったということ。これは今までアフリカ諸国を39カ国旅行して出国スタンプを貰えなかった国はここが初めてであったということでもある。(同じ日付の入国スタンプをパスポートの残りのページの少ないのを気にし始めた頃に別々のニューページに1個づづ、計2個も押しやがったチャドという国もあったが)。


 3.そして何よりも一度払った賄賂が全額とは言わないまでも払い戻しが出来たということ!!


 こんな事はまさにこのプロフェッショナルな私でもアフリカ初の体験であった。


 それにしてもアフリカは奥が深い、危険度4の怖さを身をもって体感できた(一体何処にだろうか?)。そう考えさせられるコートジボワール入国そして出国であった。

 ちなみに

 1.列車の中では「5000セーファー、立ちションで巻き上げられたかわいそうな日本人」として大人気であったこと
 2.結局信頼線を突き抜けた後で出会った兵士たちが政府側なのか反政府側なのか?フランス語が分からない私には全くどちらかは分からなかったということ。
 3.そして一見何か凄い事をやって来たかの様に無理くり見せているが実際にはただ最初から最後までただ列車に乗っていただけで自分では何一つしていなかったという事。


 は・・・、わざわざ伝えるほどの事ではないであろう...









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