エチオピア
2005.02.27(日)
この日はゆっくりと動き出すことにする。私はここからさほど離れていないディラという町からモヤレまで行く夜行バスがあると聞いていたのでゆっくりと出てディラで時間を潰してこのバスを待とうと考えていた。
1100時頃にチェックアウトして目の前のバス停へ。ディラ行のバスは直ぐ見つかり私は15人目の乗客となる。車種はトヨタのハイエースを改造した物で後部座席はベンチが4列ならんでいる。15人も集まっているなら出発はすぐだろうと思っていたがそれから30分ほどさらに客を詰め込んで20人を過ぎた頃にようやく出発する。
ディラへは1時間半ほどで到着。ここでモヤレ行の夜行を探すとそれは無くなっていたらしく当てが外れてしまう。
少し悩んだがそれなら可能な限り国境へ近づこうと私はまたバスを探して次の町へと移動することにした。
こんどもまたハイエースだ。
このミニバスの中はさっき乗ったやつよりもさらに密度が高くなっている。試しに人数を数えると24人、天下のトヨタも8人乗りのハイエースに24人詰め込んで運行している国があることなど知らないだろう。
出発したのは1430時、ただこれだけ人や荷物を積み込んでいるので歩みは遅い。
次の町であるハガレ・マレアムに到着した頃は夕方の1830時になっていた。
さらに前に進めるかどうかを聞いてみると今日の運行は打ち止め、明日の朝モヤレ行のバスがあるということなのでここで一泊することにする。
バス停近くのホテルに泊まったが、このホテルも設備は悪くない物の断水中で水は汲置のみだった。
2005.02.28(月)
モヤレ行はおなじみの「魚河岸バス」だった。朝早く0540時にホテルを出てバス停に向かうと「モヤレ!」と叫んでいる呼子がいる。私はその声の方向へ向かい、そのバスに乗るとバスは直ぐに出発。これはいい出足だと思ったらその後バスは「モヤレ・モヤレ」と叫びその付近をうろうろしながらさらに客を集めて最終的に出発したのは0630頃、乗った時に比べてこの時にはバスの中で誰も身動き取れないほどに詰め込まれていた。
酷い状態だったがこれでエチオピアで乗るこの「魚河岸バス」も最後だと思うと愛おしくさえ感じてくる。
訳は無い、やっぱりこの国のバス関係者は全員皆殺しにしたくなっていたというのが事実だろう。
モヤレには1400頃に到着。
到着と同時に路上両替がやってくて私に両替を勧めてくるので両替し、国境付近のツーリスト・ホテルというその名も直球なホテルに宿泊する。
モヤレからナイロビに向かうにはバスにせよ、トラックにせよ朝出発だと聞いていたので物価の高さが予想されるケニアよりもエチオピアで泊まったほうが安上がりだと考えたからだ。
国境はフリーボーダーに近く、私は明日出国なのにエチオピアでのイミグレの手続きを終え、そしてケニアのイミグレでビザの取得まで終わってしまっていた。(ケニアの国境町もモヤレという名前でこのモヤレ内だけの移動なら出入国の手続きが終わった後でも自由だった)
ケニア側でバスのことを確認すると出発は明後日らしい、私は明日出たかったのでツーリストホテルのガイドに聞いてみると彼がトラックに乗れるように調整してくれるという。不安はあったがトラックへ乗る料金のデポジットを預けて、その日はエチオピア側で落ち着くことにする。
これで長かったエチオピアも終りになる。
それにしても東部と南部の水不足は酷かった・・・
今日がエチオピア最後の夜と思うと寂しさよりも嬉しさが込み上げて来るのは何故だろうか?
国境町のモヤレ