インド
ニューデリー→ジャイプル(鉄道)
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:328万7,469平方キロメートル※日本の約9倍、インド政府資料:パキスタン,中国との係争地を含む。(2011年国勢調査)
2.人口:12億1,057万人(2011年国勢調査)
3.首都:デリー
4.民族:インド・アーリヤ族,ドラビダ族,モンゴロイド族等
5.言語:連邦公用語はヒンディー語,他に憲法で公認されている州の言語が21
6.宗教:ヒンドゥー教徒79.8%,イスラム教徒14.2%,キリスト教徒2.3%,シク教徒1.7%,仏教徒0.7%,ジャイナ教徒0.4%(2011年国勢調査)
7.通貨:インドルピー 1Rs=100P(パイサ) 1Rs≒3円で計算。(実際は2.75程度)
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2019.01.06です。
2007.03.13(火)
ニューデリー06:10時発のAjmer Shatabdi Expressは日本なら特急クラスに相当する列車で、ジャイプルには45分遅れの11:30時に到着。
ラジャスタン州の州都ジャイプルの中央駅で早速出迎えてくれたのは牛だった。
ジャイプル駅。食事も料金込み
仙石氏と目星を付けていた駅近のスワガダム・ツーリスト・バンガロー行き、ツインルームをゲットする。
インドの悪評の大半は、ツーリストの多い北インドの観光名所で旅行者に絡んでボッタくってくるインド人たちから発生している。
ここが私にとってその最初の北インドの都市だった。
ジャイプル市街
街に出ると早速気ままに歩くことを許さず、隙あらば話しかけてきて商売しようとするインド人が絡んでくる。
流石インド有数の観光地だった。
ジャイプルは旧市街の建物がピンク色に彩色され、別名ピンク・シティーと呼ばれる街だ。
この絡んでくるインド人と、混じり合って暮らす牛たちが、このピンクの華やかさを異次元な物として際立たせていた・・・
道端の牛
市内の見所はこの旧市街の中に固まっている。
最初に訪れたのはデリーのツアーにもあった、ジャンタル・マンタルという天文台だ。
ジャンタル・マンタル、右上の日時計は世界最大だが、記念撮影場になっていた。
外国人料金ではある物の、入場料50Rsに撮影料10Rsはそれほど高く感じなかったのはデリーの観光地で入場料を吊り上げ過ぎられていたからなのだろうか?
ジャンタル・マンタル
訪問後の2010年にジャイプルのジャンタル・マンタルは世界遺産に登録された。
そしてシティー・パレスを訪れる
シティー・パレス
ここの入場料は外国人料金で180Rs(480円)、ジャンタル・マンタルの良心さから考えると一気にやられた感が増してくる。
シティー・パレス
ただ高値ではあったものの、現マハラジャの住居で、一部博物館となっているこのパレスはとても見応えがあった。
シティー・パレス
パレスを十分に堪能して、向かったのは恐らくこの街最大の見所になる風の宮殿だ。
風の宮殿へ向かって。最下段左が風の宮殿。
宮殿というと壮大な物を想像しがちだが、ここは一反木綿みたいな建物だった。
入場料30に撮影料5、勿論外国人料金だがシティー・パレス後なのであまり気になる値段ではなかった。
風の宮殿を登って
ほぼ市の中心となる宮殿は良い眺望だった。
風の宮殿から
旧市街はこれで大体満足だった。
現在15:30時。
これから郊外に出るには少し遅い時間だったが、ここで立ち止まる訳にはいかなかった。
仙石氏とバスに乗り、アンベール城へと向かった。
アンベール城
入場料75Rs(当然外国人料金)を払って中に入る。
アンベール城
ここも訪問後の2013年ラージャスターンの丘陵城塞群(計6ヶ所)の内の1つとして世界遺産に登録
30分ぐらいと短い滞在だったが、見れる限りは見れたので満足だった。
これでジャイプルでの目的は果たしたので、街に戻り明日の鉄道チケットを購入する。
旧市街、風の宮殿
出発・・・、ではなくただの見学
2007.03.14(水)
まだ夜も明けぬ06:10時、列車は予定通り出発し、ピンクの街を後にした・・・
Incredible India(信じられないインド)
国を挙げての入場料のボッタくりは腹立たしく、また何処に行っても絡んでくるインド人をうっとおしく思い始めていたが、まだまだ北インドの見所はたくさん残っていた・・・
※旅行当時の記事は「謎の日常」の「ピンクシティー(ジャイプル:インド)」を参照
ピンクの街(ジャイプル:インド)
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