アメリカ合衆国 グアム
※地図はtravelers cafeへ提供された武揚堂社の物を使用。
※Google Mapより。青の四角は泊まった中心街のあるタモン地区
グアム準州 基礎データ(wikipediaより抜粋し一部加筆)
1.面積:549平方キロメートル(淡路島より少し小さい)
2.人口:約16万人(2013年時)
3.州都:ハガニア(約1千人)※最大な都市はタモン
4.民族:チャモロ人43%、フィリピン人23%、他の民族15%、白人系14%、グアム以外の太平洋諸島出身者5%等(1990年時)
5.言語:英語、チャモロ語
6.宗教:カトリック約85%
7.通貨:USドル。1USD≒110円(訪問時のレート、実勢レートと違い、読む人がイメージしやすいように大まかな数字にしてます。)
2018.05.15(火)
トンネルを抜けるとそこは雪国で、タラップを降りるとそこは常夏だった・・・
・・・
・・・・・・
そしてこの私はヨーロッパエレガントツーリストだった・・・
(き、決まった・・・)
ニイノ・アキノ国際空港を夜10時過ぎに発、約5時間のフライトを経て最初の目的地、日本人にとってハワイと並ぶ屈指のリゾート地、常夏の楽園と言われるアメリア合衆国グアム準州に到着した。
約2時間進んだ時差を加味しても日の出前の5時前の到着、降機もタラップではなく空港直結の通路だったので常夏を感じさせるものは何一つなかったが、オープニングで一番大事なのは雰囲気だからこの際は捏造でも何でも良いだろう。
そしてグアムと言えばアメリカ、アメリカと言えば「欧米か?」という有名なセリフからもヨーロッパとは一体と言うべき存在である。
要するにグアム旅行=アメリカ旅行=欧米旅行=ヨーロッパ旅行だ。
つまり今回の旅行もまたいつもと変わらないヨーロッパ旅行。と、いう事が最初の国で確定したと言ってよいだろう。
簡単すぎる入国審査を終え、空港ロビーに出る。まだ暗い夜空を自動扉越しに遠くに眺め、真っ先にやったのは空いてるベンチを確保して横になる事だった。
中心街で私のホテルのあるタモン地区まで直線距離で2km程度だが、すぐ行くにはまだ暗すぎた。
ここです
とはいいつつ、空港のベンチでがっつりと寝ている訳にもいかず、日が上がった6時頃から動くことにした。
荷物を背負ってロビーから外に出る私にタクシーの運転手が「タモンはそっから見えてるけど周り道でしか行けないから歩くと1~2時間かかるぞ、タクシー乗れよ」と営業トークをしてきたが、『時間はたくさんあるから試してみるよ』と軽くあしらう。
空港外。左下に映っているのがホテルのあるタモン地区
『それにしても・・・』
今回も単なる仕事休みの休暇、お金がないわけではない。
ただタクシーは主に法外に値段が高く感じてしまうからという理由で、乗るのにはどうしても抵抗がある。
なので他に安くなる手段があれば基本そちらをチョイスしてしまうのは、元長期旅行者としての悲しい性(さが)なのかも知れない。
合計で20kg程度になる荷物を身体の前後に抱え、空港からは下り一択の道路を一度目的地から遠ざかるようにしながら歩くと、予約したホテルには大体1時間位で到着した。
空港からタムニング地区を通り抜けタモン地区へ。途中にJFK高校があった
”ブッキングドットコム”で予約したグランドプラザホテルは14時チェックインと書かれている。
今は朝の7時、まだ部屋に入れないのは順当だが、荷物を預けてそれまで観光してればよいだろう。
フロントに預かりを頼むと予想通りOKだったが、どこか預かる部屋でもあるかと思ったらロビーのソファー横に私の荷物を置いてそこにネットをかけてはい終了というのは予想外だった。
『私が預けた事を知らない人がレセにいたら誰でも自己申告で持っていけるんじゃ?』
という不安は当然あったが、メインサックに致命傷になるような貴重品は入れて無いので、そうなったらその時はその時だろう。
『さてと・・・』
幸いにもここに至る道中でこのホテルから歩いてすぐの所に”コンビニエンスストア大阪”と書かれた店が営業しており、店の前に自転車が一杯置かれてレンタル料金も書かれているのを発見している。まだ朝早いこの時間帯に自力の交通手段が得られるならそれが一番動きやすい。
レンタルサイクルは5時間10ドル、一日18ドルだった。確実に見たいエリアを考えるとどっちを選択するか微妙なラインだったが、時間に追われて慌てながら無理やり観光するのもリゾート地っぽくはないので、時間を気にせず余裕を持ってのんびり見れる丸1日コースとした。
最初の目的地は州都のハガニアだ。
沿岸部分に沿うように遠回りしても10km程度、時折休んで写真でも撮りながら行くには丁度良い距離だし、『首都狙撃手』として、ここが単なる準州だとしても、その州都は第一優先狙撃目標になるのは当然と言えば当然だろう。
タモンからハガニアへ。左下:フローレス・大司教の像。右下:グアムメモリアル病院
「一番新しいのはこれだよ」と勧められた借りた自転車に乗り始めてすぐに気付いたのはブレーキの甘さだ。左側(前輪)はほとんど効かず、右(後輪:ちなみに左右のブレーキが前後輪のどちらに対応するかは日本とは逆)にしても滑るような感じで何とかと言った程度だ。
他の自転車に代える事も考えたが一度動き始めて戻るのは面倒だ。それなりに起伏のあるグアム全土の地形を考えるとこのまま自転車で1周するのはあまりやりたい事ではなかったし、近郊だけのんびりやるなら問題ないとそのまま進むことにした。
ハガニア湾:左下にハガニア、右下にタモンが遠く見えている
のんびりと漕ぎながら1時間程度、州都ハガニアに到着。
最初に訪れたのは自由の女神像のあるパセオ公園の突端だ。
パセオ公園。左下は伝統のカヌーを造るタシ、右下は日本統治下時代の大宮島のトーチカ
(※グアムは第二次世界大戦時、日本が統治し大宮島と呼んでいた時代がある)
スペイン統治時代、1800年頃建造のサンアントニオ橋(スペイン古橋)に人魚像
中段はポストオフィスにミュージアム
最下段はスペイン統治下時代に建てられた聖母マリア大聖堂
サンタ・アグエダ要塞(アフガン要塞)。1800年頃のスペイン軍の要塞
先史チャモロ時代のラッテ期(900-1700年頃)の巨石文化を残すラッテストーン公園
州都ハガニアをある程度楽しんだので、ブランチを摂り、もう一つの観光のハイライトを目指す事にする
ブランチはバーキンことバーガーキング!下左はバス停
グアムのシンボルとしてグアム旗にも描かれている”Two Lovers Point”、”恋人岬”がその目的地だ。
のんびりと自転車を漕ぎながら入り口へ
展望台より
何故ここが恋人岬と呼ばれるかと言うと、スペイン統治時代にスペイン人との結婚を強制されたチャモロ人の娘が、婚礼の夜にチャモロ人の恋人と駆け落ちするがこの岬に追い詰められ、決して2度と離れないようにお互いの髪を結びあってこの断崖から身を投じるという悲しい恋の話がその由来なのだが、ここを訪れる現代人はそんな悲しい話などまるでなかったかの様に景色を楽しみ、ハート形の願掛けにメッセージを残している
景色と願掛け。下段は飛び降りたと思われる突端部から
私も恋人のタバ子とでも口づけを・・・
『・・・』
『・・・・・・』
『つい先月別れていたし、それに今回は喫煙習慣自体から別れるために補助喫煙具にしていたニコチンタール無しのベイパーすら置いてきていたんだっけ・・・』
恋人岬からの展望。雨雲がはっきりと分かれている。下段はこれ見よがしな願掛け
『うーん、観光中の節目節目にこれまでタバ子が必ず寄り添っていたが、いざ別れてみると味気無くもあるな・・・』
『それに恋人同士で訪れるこの岬にソロで自転車で汗をかきながら訪れている時点で、チャモロ人の悲恋以上に悲哀を感じる話でもあるな・・・』
そんな事を考えつつ時計を見ると時刻は13:30頃、戻れば丁度チェックインできそうな時間だ。
『自転車は?』
このまま一日借り続けても良かったが、結局返す事にした。
コンビニエンスストア大阪
グアムまで直行便なら4時間弱程度、ただし値段は10うん万円~20うん万円と理解不能に高い。
第三国経由にした方が2万円台スタートで圧倒的に安い。
今回私が選んだフィリピン航空は最安ではないが、本国乗継で丸1日程度かかる中国系や韓国系より時間的な条件が遥かに良かったので選んでいる。
それでも日本からまず5時間かけてマニラに行き、そこで5時間待ってまた5時間かけてグアムと計15時間程度かかり早朝着というのがフライトスケジュールだ。
それぞれの時間が中途半端過ぎるのでこれまでがっつりとは寝れず、朝6時から動き始めて既に8時間。南国特有の暑さもあり疲れて眠くなってしまっていたのだ。
このまま自転車を借りててももう乗らないだろう。
ホテルにチェックインして部屋で荷物を展開してそのまますぐに横になりまどろみの中に落ちていった・・・
目が覚めて次に動き出したのは夕方の17時頃だ。
タモン地区。日本語表記の看板も多く、また旅行者目当ての射撃場もちょくちょく見かけた
私の泊まっているホテルのあるタモン地区はグアム最大の繁華街だ。ただメインストリートは一本でそれを1km程度往復すれば中心街はあっさりと終わってしまう。
タモン地区
『ふぅ~・・・』
取り敢えず今日最低限見たい物は見た。観光初日としては悪くない出足だし狙い通りと言ってよいだろう。
左上はグアムジラ、右上はテイクアウトしたディナーのバーキン。夕日は残念な結果に。
そして翌日・・・
朝6時にホテルからタクシーで空港へ向かう。
フライトは8時の便、歩くと登坂を1時間、残念ながらそれをやるなら日の出前の5時に出発しなければならなくなる。
迂回してもたった4kmに20ドルという値段は安くは無いがそれ以外に選択肢がない、タクシーは苦渋の決断だった。
「えっ?グアムはもういいの?」
元々首都狙撃手の私に国でないグアムに特に用は無い、今回の旅程で寄らないと次に進めないから組み込んだだけだ。
朝到着してその日のうちに他の国に移動も狙えたけど、折角寄るなら勿体無いから最低限は見ようと思ったから1泊しただけの事だ。
昨日の観光で既にグアムに全く興味がなくなっていた・・・
アントニオ・B・ウォン・パット国際空港
次の国はユナイテッド航空で向かう。たまたま50周年だったのでお菓子やパンが出国ロビーで振舞われていたのはラッキーだった。
乗り込んだUA155便
『いよいよ次は・・・』
これからしばらくは「歩き方」にも「ロンプラ(Lonely Planet)」にも載ってない国が狙撃対象だ。
勿論事前にwebである程度調べてはいるが、不透明な部分は大きい。
グアム上空から
去り行くグアムを眼下にしつつ、私の心は既に次の国へと囚われていた・・・