アンゴラ
2005.08.08(月)-11(木)
私にとって中央アフリカ地域最初の国の最初の首都となったアンゴラのルアンダ・・・
それは私の想像を超える都会だった。ホテルの宿泊費は目に見える形で旅費を圧迫する値段なのでここでの予定は3泊。そして速攻で抜けようと考えていた。
40ドル以上とアフリカ大陸部最高額の宿泊費(島も入れるとセイシェルで1泊60ドルというのがある)をいきなりたたき出したホテルの中、生活観が色濃く漂っている。
そしてそのホテルからの眺め、大都会だがインフラは1970年代と言った所か?
40ドル以上するホテル、アフリカの物価と考えると激高な値段だがこのルアンダでは格安の部類だ。内戦で疲弊した街並、そんなに生活水準が高いとは思えないのにこの物価は異常としか思えない。ステアーズ(南アチェーンのハンバーガーショップ、南ア版マクドナルドといった所だろうか)の一番安いハンバーガーセットが700円を超えていた事からもその物価の高さは推測出来るだろう。
だがこのボロボロの大都会にそぐわしくないこの物価の不自然な高さというアンビバレンツ(2律背反性)は私の心を奇妙に惹きつける物であり、どうしても見たくなってしまう種類の物であった。
初日に訪れた日本大使館の領事が親切だったのもあり、一日の観光の後そこによって領事と世間話をするというのが日課となる。
大使館は市の中心街から少し離れた地区(徒歩で十分行けるが)、そこに行く途中に見た鉄道駅
また丘の上辺りで飾ってある古い機関車
旅行者の皆無なアンゴラで日本人と会って日本語での会話を楽しむとしたら大使館ぐらいしかない。そういった意味でもアンゴラの日本大使館は私にとってオアシスとなる。
この3日間、フルスピードで観光を続けていた・・・
市の中心部
知り合ったアンゴラ人がマンションを案内してくれてそこから撮影した市の中心部
ルアンダ市内唯一の観光名所と言っても過言ではないフォルタレーザ(ポルトガル語で要塞の事)
骨董品に近い展示品
市内を見下ろすと破壊された建物が、内戦の傷跡は未だに数多く残っている
パノラマで見た市の中心街
市の中心部の湾から道路で繋がった岬部分、ポルトガル語でイリヤ(半島)となっている。
また少し目線を変えて郊外を眺めて・・・
オイルとダイヤで国庫は潤い始めているものの首都の中心でさえ修復しようという気すらない、くずれたビルで昼夜問わず喧嘩しているアンゴラ人をよく見かける。領事から聞いた話では儲けたお金は極く一部の人間にのみ還元され国民は貧しいまま、そして今首都のルアンダには利権を争うビジネスマンが入り込んできてホテルというホテルを占拠中、クオリティーに全く見合わない宿泊費や物価の高さはそんな所から来ているそうだ。
見た街並、インフラとこの物価。ハイプライス・ロークオリティー、何とも不思議な大都会である。
私は予定の3泊をもう1日延長して4泊する事にした・・・
湾から突き出た岬(イリヤ地区の事)にはどちらかというと貧しい人たちが住んでいる。右側の写真の後ろは湾側にあるモニュメント。
そして岬側から見た要塞
岬の突端にあるリゾートエリア?遊園地と言っていいかどうかが憚られる様な物がある。微妙な屋台も数件・・・
誰も泳いでなかったビーチ・・・季節柄なのか?それともただ汚いだけなけなのか?
そしてリゾート側の道路、まあただの普通の道だが・・・。そして教会、ポルトガル様式?まあ外見は綺麗かな?
そして郊外にある大規模なマーケット・・・
シュクワンザ、ロッケサンテイロ行のミニバス乗場と車内から撮影したシュクワンザマーケット
そしてアフリカ最大のブラックマーケットと言われるロッケサンテイロ地区
この4泊の間・・・予算の範囲内でこのルアンダの最低限見れるところは見た筈だった・・・
だが、この頃私はまた新たな考えに囚われ始めていた。
そしてさらにもう一泊、物価の異常に高いこの街に滞在することにしたのだった・・・