パキスタン
ザーヘダーン(イラン)→国境→クエッタ(パキスタン)
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:79.6万平方キロメートル(日本の約2倍)
2.人口:2億777万人(年人口増加率2.40%)(パキスタン統計省国勢調査2017)
3.首都:イスラマバード
4.民族:パンジャブ人,シンド人,パシュトゥーン人,バローチ人
5.言語:ウルドゥー語(国語),英語(公用語)
6.宗教:イスラム教(国教)
7.通貨:パキスタン・ルピー 1PKR≒2円で計算。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.12.04です。
2007.02.04(金)
ザーヘダーン(イラン)をシェアタクシーで出発して2時間、イラン時間で10時にタフタン・ボーダーに到着。
+1.5時間の時差があるのでパキスタンに入国すると同時に11時半になる。
国境越えの際に頻繁に起きるこの時差問題だが、+だと損、-だと得と感じるのは私が現金な所為なのだろうか?
いずれにしても101ヶ国目のパキスタンがスタートした。
パキスタンに入って直ぐに気付いたのはここが目に見える国境だということだ。
比較的富裕なイランの道は舗装されているが、貧しいパキスタンの、それも首都から遠く離れた辺境の地であるここは未舗装だった。
その差はトレイにも現れた。
清潔さはもちろんの事、イランのトイレは必ずと言ってよいほどホースが横に着いていて、しかも温水冷水選べてお尻を洗い流せるのだが、パキスタンに入って最初のトイレにはボロいプラスチック製の水差しに、水が溜められているだけだった。(※両国とも紙を使わず手で水をすくって用足し後のお尻を洗うのが一般的。手で拭く習慣のない外国人は使った紙をトレイにあるゴミ箱に捨てている)
タフタン・ボーダー。パキスタン側で撮ったので境目が上手く撮れず。
ここからは直行バスで、西方にある大都市クエッタを目指すつもりだったが出発が16時で4時間以上も待たなければいけない。
最初から知っていればザーヘダーン観光でもして少し暇を潰してからでも良かったものの、そんなことはここに来てみなければ分からない事だった。
幸いなことに今回は道連れに加東氏がいるので、待つ時間も1人よりは苦痛にならないし。何よりもトレイに行く際にバッグを背負ったり持ったりどっかに括り付けたりする必要がないのはとても有難い。
出発まで、お茶小屋に入ってチャイとパンケーキを注文する。
若い、気の良さそうな青年がいそいそと用意をしてくれた。
我々の他に、現地人の英語が少し喋れる中年の親父がいて、何やらその青年に、からかうように話しかけている。
『?』
悪意は無さそうだ。そしてその青年ははにかみながら、加東氏に話しかけてきた。そう
「アイ・ラブ・ユー」
と・・・
『!!』
加東氏は冗談を言われた感じで受け流していたが、私の方を向いて日本語で一言
「これ、マジもんの言い方ですよ!」
と。
『!!!!!』
話は変わるが、イスラム圏では顎髭は男性の象徴で、また長髪の男性の方が一般的だ。
短髪で髭無しだと漢らしくない、ようするにホモ、或いは男色とみられちょっかいをかけられがちなので、旅行者でもイスラム圏では長髪、顎鬚という定番なスタイルを取る者が多い。
加東氏は定番スタイルだったが、私は昔からの習慣で常に短髪で髭無し、どちらかというとイスラム圏では男性を誘うモーホースタイルだった。
『(それなのに何故彼が告白を・・・)』
条件だけなら負けるはずの無い戦に、思いっきり敗北したような気分だが、まあこれはこれで仕方が無いのだろう・・・
それにしても国境を越えてからの現地人との最初の会話が、相方への告白だなんて・・・
不安にしかならない先行きに怯えつつ、でもアフリカよりは遥かにマシだなどと考えて時間を潰していた・・・
パキスタンのバス内。イランとは比較できないほどぼろい。中段はお茶小屋
16時、バスは国境を出発。クエッタへは翌朝到着予定なので2泊車中で過ごす事になる。
23時頃立ち寄ったローカルな食堂で夕食を摂る。
チキン、パン・コーラで75PKR(150円)。コーラが10PKR(20円)だとチキンの60PKR(120円)がボッタクリに思えてくるが、確かめた訳でもないので真相は闇の中だった・・・
国境から夜まで
2007.02.05(月)
バスは06:30時、クエッタ郊外に到着。
スズキと呼ばれる4輪タクシーに乗り市内に出る。
スズキ。もちろん日本のスズキ車製の物が広く一般に利用されているのでそのまま愛称になっている
パキスタンは歩き方に無い国(その後2007年版が出た)だったので、ロンプラ、旅行人ノートのアジア横断編、そしてそれまで会った旅行者からの情報を基本に動くことにする。
そして辿り着いたあまり豪華とは言えないホテル・デラックスに到着と同時に体調不良でダウンした・・・!!!
国境で相方だけ告白されたことに対するジェラシー?
それとも失恋?
あっ!夜中に食べたチキンが一番怪しい・・・
等と正常な思考が働くことも無く、そのまま一日中ホテルで寝ていた・・・
2007.02.06(火)
この日も引き続きダウン。
加東氏が何かと気を使ってくれて両替してきてくれたり、食事を買ってきてくれたりで感謝感謝の一日だ。
普段はソロだが、こんな時は相方がいるのは本当に心強かった。
2007.02.07(水)
この日もダウンしつつ、加東氏を私に付き合わせて足止めしてばかりもいられないので、一緒に鉄道チケットを買いに行く。
出発は明日、鉄道もかなりの長距離になるので、この際だから移動しながらひたすら安静にして治そうかと考えていた。
駅について並んでいると、お金を入れているマネーベルトを宿のベッドの下に忘れた事に気付いて一度取りに戻る。
こんな失態はザンビア以降だった。
幸いにして忘れ物はそのままの位置にあったので回収してまた並び直す。
パキスタンの鉄道チケットは外国人割引と学割とダブルで効かせられるので、両方ある人は勿論、外国人というだけでもかなりの割引があるのでお得だった。
クエッタ市街と鉄道駅
この日は屋台でバーガー、これがかなり美味しく、またチーズのブロック、経口補給水等、そして安いタバコ等を買い込み明日からの長距離移動に備えることにした。
上から下から出まくる最悪な体調は変わらないが、加東氏のヘルプのお蔭で何とかクエッタ3日目が過ぎていった。
しかしアフリカ旅行時ではこの程度の移動はザラで、体調を壊すなんてまず無かったが、そもそもがエレガントな私だ。
ヨーロッパというホームグランドで本来の姿に戻った事が、第三世界への耐性を弱くしていたのかもしれなかった・・・
2007.02.08(金)
09:40時に3泊したホテルをチェックアウト、クエッタではコレクションしている観光地図こそ昨日何とかゲットしたものの、ほぼぼぼフリーズ状態で何も見ていなかった。
幸いなのは体調がほんの少し回復傾向にあると感じられたことだ。後は移動中徹底的に食べて寝て出してを繰り返せばなんとかなりそうだった。
中で食事出来るかどうかが知らなかったので食パンやスライスチーズ、水等を買い込んで歩いて鉄道駅に向かう。
列車が出発したのは10時半、日中6人、夜間ベッドを出すと4人寝れるトイレ付きのコンパートメントは綺麗とは言えないが、かなりの広さがあり快適そうだった。
クエッタ駅と道中。
車内では横になれる時は横になり、寝れる時は寝て徹底的に休む。
良く言えば味のある、老朽化した天井を眺めつつ思っていたのは
101ヶ国目はプロポーズ!?
相方が告白を受け、何かが起こりそうな予感からスタートしたパキスタン。
そんな期待感とは裏腹に、私には最悪な始まりになった。
と、いう事だった・・・
※余談ながら、髪がボサボサで顎鬚もボーボーの、話さなければ日本人とは分からないアフガニーという仇名の日本人旅行者とイスタンで会い、彼から「こんな私でも告白されたから気を付けた方が良いですよ」と忠告を受けていたが、私は短髪顎髭無しのままイスラム圏を周り続けて、ついぞ誰一人からもモーションを掛けられなかった。
セキュリティー的には有難いが、男性から見て魅力のない男性というのもどうなんだろうかと思う。
※旅行当時の記事は「謎の日常」の「ファッキンスタン...(クエッタ:パキスタン)」を参照