北キプロス
2006.05.25(木)
屋上のあるホテルの洋風の朝食を食べ、今日はいよいよ“北側“へ突入だ。
ホテルの朝食、肉がほしい・・・
直線距離ではおそらく私の宿泊施設からかかっても10分以内に到着する北キプロスだが、旧市街の中央が分断されている事からいちいち一度旧市街から出て城壁沿いに周りながらではないと入国出来ない。この辺りからこの国の、この首都の置かれた情勢と言うのが見てとれるだろう。
ニコシアの南キプロス側
城壁に沿ってしばらく歩くと国連の緩衝帯がありそれに付随する形で観光案内所がある、ここで資料を少し貰ってからイミグレを通過、パスポートにスタンプは押されずスタンプを押された半券みたいな物をもって入国を果たす。
入国した北キプロスのニコシア新市街
たいていの場合最初に寄るのは観光案内所だ。ここで貰ったパンフレットは北キプロス側の地図だけで南側は空白になっている、丁度南側のニコシアで貰ったものと正反対だ。そしてバッファーゾーンで貰ったパンフには南北両方の見所が記載されている。
観光案内所(写真上の左)とニコシア旧市街
以前は南キプロスから北に入ってその日の0時までの間なら観光が許されていたらしい(バッファーゾーンで後で確認したら今は別に数日いてもいいらしい)、時間制限があるので北キプロス側はお仕着せのウォーキング・ルートのマップがあり、さらに地面に順路がかかれている。私のようなものぐさにはこの通りに歩くだけなので楽でいい。
旧市街の地図の中にもウォーキングルートが描かれている
一番下の写真の左側に緩衝帯と南北の境目が見てとれる。
一つの首都に異なる組織の3つの観光案内所があり異なるガイドが渡される。
そして北側のニコシアを歩いていてもすぐに南に戻れそうな気がするが戻るには回り道を余儀なくされる。
UNのポストがある、フェンスの外は南キプロス
旧市街に教会、極彩色のペイントを壁に描かれた家
そもそもこの首都が分断されたのはギリシャ併合を望むギリシャ系住民に反発する形でとトルコがトルコ系住民の保護の名目で軍事力を持って「北キプロス連邦トルコ人共和国」を建国した事に端を発する。南側を便宜上南キプロスと私は呼んでいるが正式には「キプロス共和国」になる。
モスク、北キプロスは建築もトルコ寄りに思える
台上に階段を上がれば南キプロスが覗ける。民家の赤字の布には「恥の壁、希望の橋」と書かれている。
アラビア風の建物、同じニコシアでも南側とは全く違う
旧市街の街並
一番上のプレートはここが旧市街の中心地である事を示している
マーケット
ニコシアの建築物、中央左、右下の写真は教会だかモスクだか忘れてしまった・・・
こちらも旧市街
明らかに南側とは異なる世界、分断された首都ニコシア。思えば東西ベルリンが無くなった今、世界でもここしか分断された首都は無いのだろう。
旧市街に新市街
新市街に出てからの景色。南側に比べると建物がくたびれている。
一見平和に見えるが何故か写真屋の写真が軍人だらけだった。
新市街のバス停
チキンプラネットは鶏が可愛くてついつい撮影、でも食べていない・・・
教会に新市街、下は最初に北側に入ったところ
大体半日ぐらいだろうか?北側の見所を終えまた南側に戻る。
南キプロスに戻って
調べてみたら南北に分かれたのは1974年という事だ。
これだけ近い場所でも30年違い歳月が同じニコシアを全く異なるものに仕立て上げている。
マクドナルド、ワールドカップ開催の年だったのでグッズプレゼントがあった
そう考えるとここは世界に2つと無い首都であった・・・
南キプロス、ニコシアの夜景、左上はキャバレー
明日は南側を良く見てみようではないか・・・