2006.02.17(金)
「アフリカでどの国に一番行きたいのか?」
旅行する前から答えは決まっていた。これから訪れる”アルジェリア”こそ私が最も行きたいと感じていた国だ。
ラバトを朝早く出発して空港へと向かう。
免税店に日本語表記があったのには流石モロッコの国際空港と驚かせる物であった。
国際空港内の免税店
「何故アルジェリアか?」
第2次世界譚戦後独立戦争を宗主国であったフランスと戦った国、フランス外人部隊によるシャルル・ドゴールへの反乱。
かつて当時のアルジェリアの様子を描いていた本をいくつか読んでいた為に一番興味がある国であったのだ。
飛行機の目的地は西側にあるアルジェリア第2の都市オラン。
首都アルジェに向かう便しか出ていないと思っていたのだがアルジェリアをなるべく多く見る為にモロッコにより近いオラン行の便があったことは幸いだった。
アルジェリアの航空会社は中に液晶ディスプレイがついている。
ここで陸で繋がっているこの両国をわざわざフライトで行く事に関しても説明が必要だろう。
国境はもちろん陸で接している、だが、この両国の国境にはイミグレが無いのだ。
つまり陸路で通り抜けてアルジェリアに入国したと同時に不法入国になってしまうのだ。
「接しているのに手続きのしようが無い」
このあたりからも両国の複雑な国際関係が見てとれるだろう。
雪山を眼下に見下ろしてのフライト
オランにはあっという間に到着。
空港で降りて両替しようとしたら「金曜日はイスラムの休日」というイスラム圏のトラップに物の見事にひっかかり、両替率は若干悪くなるがあいていたショップで必要分だけ両替する。
まだ昼過ぎ、このままオランを観光する手もあったがここはさらに西側のモロッコとの国境により近いトレムセンという街に移動することにした。
トレムセン行のシェアタク
トレムセン、この街はかつてザイヤーン朝の首都としてマグレブの中心都市のひとつであった都市だ。
独立戦争時に大半が破壊されたらしいがそれでもまだ遺構は残っているのでそれを見学するつもりだった。
オラン郊外、洋式の近代的なビルが並んでいた
オランのタクシーランクを出てから3時間弱、トレムセンには夕方の17:00時過ぎに到着した。
到着して歩き始めた頃のストリート
夕方着ならばやる事は少ない。取り急ぎホテルを適当に見つくろって寝床を確保する。
アルジェリアも手持ちのガイドブックは6年以上前のロンリープラネット、それも全アフリカ版なので情報等殆ど役には立たない。
だが路地に入ると比較的簡単に安宿が見つかった。
泊まったホテルの路地とホテル
2006.02.18(土)
昨日はそのまま落ち着く形となり今日本格的に観光する事にする。
いつものパターンでいうと観光案内所があるかどうかだが当たりをつけて適当に探し回ってなんとか見つける事が出来た。
観光案内所近辺からのトレムセンの街並
地図は無かったが簡単なパンフレットを入手、またガイドブックに乗っていた名所の行き方を聞いて観光する事にする。
乗っていたシェアタクの中から。
マンスーラ、破壊されたミナレット
やけにカラフルなモスク?それとも単なる住宅??多彩な色を使っている割にはくすんでいる
Sidi Bou Medine:古いモスク、マドラサやスルタンの墓などある。
Sidi Bou Medineからの景色
途中明日のオランの移動は鉄道でと思い駅を探す事にする。たまたま道を歩いていて聞いた男が一緒にバスに乗ってくれ、しかも私の分まで乗車代を払い。そして降りてから「あっちが駅の方向だよ!」といってまた戻る方向のバスに乗って去って行った。
以前聞いていたイスラム教徒の旅人への親切心、ブラックアフリカではイスラム圏であってもそんな経験は無かったのでかなりびっくりとさせられた。
駅を示す標識
幸先良く鉄道時刻を確認してから街の中央へと向かう。
中心の広場
街並
ちょっと植民地風な建物
そしてグランドモスク
街の中心を眺めてから今度はまた別の見所へ
Sidi Bel Hassan Mosque
Sidi Bel Hassan Mosqueからの景色
Porte Babel Kermadine、ローマ遺跡
情報の殆どなかったトレムセン、ここの人が親切だった事もあり満足いく観光ができた。
グランドモスクの夜。
そして夜、たまたまいったネットカフェが日本語可能!こいつは嬉しい。
私がネットサーフィンをしながらWebをチェックしていると中学生ぐらいの若者が凄い笑顔でこちらに合図を送ってくる。
『???』
外国人が珍しいのだろうか?それとも・・・
若者は私を促すように彼が見ている画面を見るようにと示してくる。
私が首を振りむけその画面を注視すると・・・
そこに映っていたのは無修正のアダルト動画だった・・・
『・・・』
『・・・・・』
旧ザイヤーン朝の首都トレムセン、親切な人々、破壊された遺構、モスク・・・
この街の見所は色々とあるのかもしれないが・・・
私はプロフェッショナルとしてこう断言しよう。
この街に来て一番良かった事は
「無修正動画を飛びきりの笑顔で眺めるイスラム教徒の若者が見れた事」
で、あったと・・・
飛行機の目的地は西側にあるアルジェリア第2の都市オラン。
首都アルジェに向かう便しか出ていないと思っていたのだがアルジェリアをなるべく多く見る為にモロッコにより近いオラン行の便があったことは幸いだった。
アルジェリアの航空会社は中に液晶ディスプレイがついている。
ここで陸で繋がっているこの両国をわざわざフライトで行く事に関しても説明が必要だろう。
国境はもちろん陸で接している、だが、この両国の国境にはイミグレが無いのだ。
つまり陸路で通り抜けてアルジェリアに入国したと同時に不法入国になってしまうのだ。
「接しているのに手続きのしようが無い」
このあたりからも両国の複雑な国際関係が見てとれるだろう。
雪山を眼下に見下ろしてのフライト
オランにはあっという間に到着。
空港で降りて両替しようとしたら「金曜日はイスラムの休日」というイスラム圏のトラップに物の見事にひっかかり、両替率は若干悪くなるがあいていたショップで必要分だけ両替する。
まだ昼過ぎ、このままオランを観光する手もあったがここはさらに西側のモロッコとの国境により近いトレムセンという街に移動することにした。
トレムセン行のシェアタク
トレムセン、この街はかつてザイヤーン朝の首都としてマグレブの中心都市のひとつであった都市だ。
独立戦争時に大半が破壊されたらしいがそれでもまだ遺構は残っているのでそれを見学するつもりだった。
オラン郊外、洋式の近代的なビルが並んでいた
オランのタクシーランクを出てから3時間弱、トレムセンには夕方の17:00時過ぎに到着した。
到着して歩き始めた頃のストリート
夕方着ならばやる事は少ない。取り急ぎホテルを適当に見つくろって寝床を確保する。
アルジェリアも手持ちのガイドブックは6年以上前のロンリープラネット、それも全アフリカ版なので情報等殆ど役には立たない。
だが路地に入ると比較的簡単に安宿が見つかった。
泊まったホテルの路地とホテル
2006.02.18(土)
昨日はそのまま落ち着く形となり今日本格的に観光する事にする。
いつものパターンでいうと観光案内所があるかどうかだが当たりをつけて適当に探し回ってなんとか見つける事が出来た。
観光案内所近辺からのトレムセンの街並
地図は無かったが簡単なパンフレットを入手、またガイドブックに乗っていた名所の行き方を聞いて観光する事にする。
乗っていたシェアタクの中から。
マンスーラ、破壊されたミナレット
やけにカラフルなモスク?それとも単なる住宅??多彩な色を使っている割にはくすんでいる
Sidi Bou Medine:古いモスク、マドラサやスルタンの墓などある。
Sidi Bou Medineからの景色
途中明日のオランの移動は鉄道でと思い駅を探す事にする。たまたま道を歩いていて聞いた男が一緒にバスに乗ってくれ、しかも私の分まで乗車代を払い。そして降りてから「あっちが駅の方向だよ!」といってまた戻る方向のバスに乗って去って行った。
以前聞いていたイスラム教徒の旅人への親切心、ブラックアフリカではイスラム圏であってもそんな経験は無かったのでかなりびっくりとさせられた。
駅を示す標識
幸先良く鉄道時刻を確認してから街の中央へと向かう。
中心の広場
街並
ちょっと植民地風な建物
そしてグランドモスク
街の中心を眺めてから今度はまた別の見所へ
Sidi Bel Hassan Mosque
Sidi Bel Hassan Mosqueからの景色
Porte Babel Kermadine、ローマ遺跡
情報の殆どなかったトレムセン、ここの人が親切だった事もあり満足いく観光ができた。
グランドモスクの夜。
そして夜、たまたまいったネットカフェが日本語可能!こいつは嬉しい。
私がネットサーフィンをしながらWebをチェックしていると中学生ぐらいの若者が凄い笑顔でこちらに合図を送ってくる。
『???』
外国人が珍しいのだろうか?それとも・・・
若者は私を促すように彼が見ている画面を見るようにと示してくる。
私が首を振りむけその画面を注視すると・・・
そこに映っていたのは無修正のアダルト動画だった・・・
『・・・』
『・・・・・』
旧ザイヤーン朝の首都トレムセン、親切な人々、破壊された遺構、モスク・・・
この街の見所は色々とあるのかもしれないが・・・
私はプロフェッショナルとしてこう断言しよう。
この街に来て一番良かった事は
「無修正動画を飛びきりの笑顔で眺めるイスラム教徒の若者が見れた事」
で、あったと・・・