インド
ブッダガヤ→ヴァーラーナシー
基礎データ(2019外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:328万7,469平方キロメートル※日本の約9倍、インド政府資料:パキスタン,中国との係争地を含む。(2011年国勢調査)
2.人口:12億1,057万人(2011年国勢調査)
3.首都:デリー
4.民族:インド・アーリヤ族,ドラビダ族,モンゴロイド族等
5.言語:連邦公用語はヒンディー語,他に憲法で公認されている州の言語が21
6.宗教:ヒンドゥー教徒79.8%,イスラム教徒14.2%,キリスト教徒2.3%,シク教徒1.7%,仏教徒0.7%,ジャイナ教徒0.4%(2011年国勢調査)
7.通貨:インドルピー 1Rs=100P(パイサ) 1Rs≒3円で計算。(実際は2.75程度)
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2020.09.29です。
2007.05.09(水)
16:30時、目的地ヴァラーナシーへ到着。
ここはヒンドゥー教の一大聖地で、国内外から多くの信者、巡礼者、観光客を集めるインド最大の宗教都市で、私のインド行の最終都市となる場所だ。
先ほどまでいたのが仏教の聖地だからこれで聖地のダブルヘッダーだ。
ブッダガヤから約8時間半かかるのにバス代は僅か150ルピー(約450円)、これはこの国の物価の安さを物語っていた。
ヴァラーナシー
同行のヤジさんと別々のサイクルリキシャに乗り一緒に市内へ向かう。
行先を告げて最初にOKしているのにも拘わらず、ドライバーが自分の関係のある宿に行こうとする。
彼らの常套手段だ。
手口は既に訪れていたヤジさんが知っている。
この辺りだという所で私にサインを出して来たので20ルピーを手渡して「じゃあここで!」と飛び降りる。
「交渉で合意してもその通りに進まない」
インドの面倒臭さが「定価定額社会」に慣れ親しんだこのプロフェッショナルを何時もイライラさせてくる。
17:00時
彼のおすすめのフレンズ・ゲスト・ハウスに到着してチェックイン。
これで丁度良い時間になったのでヤジさんおすすめのレストラン「しゃん亭」へ向かい、「カツ丼」と久しぶりの「日本食?」を味わう。
偏食で同じものを食べ続ける傾向のある私には、この変化は嬉しい物だ。
上段:バス停から市内へ、牛がお出迎え。下段:左はヤジさんが頼んだカレー、右がカツ丼
食後に行ったネットカフェが安定してなかったので、水とコーラにアイスでその不満を慰める。
ほぼ移動に費やした1日だがこれで今日は終わりだった。
2007.05.10(木)
10:00時、ホテルを出て昨日のネットの続きをする。
一度戻ってイングリッシュ・ブレックファーストを食べる。
朝起きてから見たホテルからのガンジス川と朝食、フレークを20ルピーで付けた
13:00時
ブッダガヤで同宿だったサワさん(仮名)と、コルカタから一緒のヤジさんと3人でガート見学に向かう。
既に訪れているヤジさんが案内してくれるので色々と面倒が予め避けられるので楽なものだ。
ガンガー
「ガートって?」
「簡単に言えばガンガー(ガンジス川)に岸辺から階段になって河水に没している沐浴の場となる堤」の事だ。
巡礼の目指す場所であり、観光客にとってはこの街のハイライトになる場所だ。
上段中央:ジャイナ寺院。下段左:久美子の家というバックパッカーに有名な宿
上段左:ナーラド・ガート,中段左:ヴジャヤナガラム・ガート、右:ケーダール・ガート
下段:鳥の巣
上段、中段左:ダシャーシュワメード・ガート、中段右:Ganga Seva Nidhi
上段右、中段:ラージェーンドラ・プラサード・ガート
上段左:ゲストハウス、中段:ミーア・ガート、下段右:ゲストハウス
ガンガー沿いを一しきり歩いてから、路地裏に出る。
ヴァーラーナシーの路地裏。
ヤジさんおすすめのラッシー屋、上手かった
18:00時、シヴァ・ゲストハウスでチャイを頼み景色を眺める。
シヴァ・ゲストハウスから。
そして夜景を見てからガートに出てプージャー(礼拝)を眺める。
これでこの街のメインディッシュは大体戴いたことになる。
晩飯はまたシャン亭、今日はカツカレーにしてみた。
プージャー
2007.05.11(金)
今日が観光の最終日。
朝5時にヤジさん、サワさんと一緒に宿を出てガンガーのボート・トリップをすることにした。
1人30ルピー(90円)で一つのボートが貸し切りと言うのは悪くない。
05:15時
しばらくすると、朝日が昇ってくる。
ボート・トリップ、対岸に昇る朝日を眺める。
下段:ダシャーシュワメード・ガートからラージェーンドラ・プラサード・ガート
霞掛かった空に昇る太陽の光は柔らかく、しばらくの間ボートに揺られながら朝日とガートを交互に眺めていた。
ガンガーとカート
有名なマニカルカー・カートが見えてくる
ここは火葬場として有名だ。
上段左:マニカルカー・ガート
上段右:マニカルカー・カート
ボートに乗った観光客、ガートで沐浴する人々
上段:ダシャーシュワメード・ガートからラージェーンドラ・プラサード・ガート、中段:現地の人のボート
上段左:ラージェーンドラ・プラサード・ガート中段以下:ダシャーシュワメード・ガート
ボートは大体1時間で終了。
降りる時チップを要求してきたので少し考えて10ルピーを渡す。
3人纏めての金額なので妥当な所だろう。
沐浴は?
ヒンズー教徒なら言うに及ばず、それを目的に来る旅行者も多い。
ただ無神論者の私にすれば、これまで見て来たインドの衛生環境等考えるとその気にはならなかった。
不衛生な水で何かしら病気を貰うリスクの方が遥かに用心すべき事と思えたからだ。
そのまま宿に戻ることにした。
そして昼まで寝て、遅い朝食セットをのんびりと食べてからネットカフェ。
煙草を買い足して、またシャン亭でカツカレーとダラダラと過ごす。
サブバッグはもうボロボロで処分することに決めたので撮影した。
出入国しながら約2ヶ月間、慌ただしくも一周したインドも今晩で最後。
ベッドで物思いに耽る。
イスタン(イスタンブール:トルコ)で会った旅行者たちからこの国の様々な噂を聞いていた。
その時に思い描いた魑魅魍魎が跋扈する国。
そのイメージは誤りだった。
先にアフリカ大陸を周っていたのもあったのだろうか?
『あれっ?こんなもんなの??』
というのが正直な感想だ。
それにこの国は支払いに応じて逃げ道が作れる。
1拓しかなかったアフリカの、中央や西と比べれば雲泥の差だった。
それに歴史も文化もあるこの国の偉大な文化は、感動的でさえあった。
ただ、観光客に絡む観光地のインド人が兎に角鬱陶しい
それが難点というぐらいだろうか。
そしてその所為で、この国の事は好きにはなれなかった。
いずれにしてもこの鬱陶しさとももう別れを告げるのだ。
2007.05.12(土)
朝06:30時、ヤジさん、サワさんと一緒にオートリキシャ―に乗ってバス停へ向かう。
宿からバス停へ
木曜に600ルピー(1800円)出して買ったバスは、聞いていたツーリスト・バストは明かに違うどローカルな物だ。
交渉で聞いた事=全く違う別の事。
インド特有の鬱陶しさは、最後まで我々に付き纏う。
09:00時出発。
オフシーズンの所為もあり、乗客が少ないのは有難い事だが、乗降り多数でしょっちゅう止まる。
お粗末な物だった。
上段:ディス・イズ・ザ・ローカルバス!
ネパールとの国境に到着したのは夜もどっぷりと暮れた22:00時だった。
Incredible! India!!(信じられない!インド!!)
インドは最後までインドだった・・・