トルコ
パムッカレ→ギョレメ
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:780,576平方キロメートル(日本の約2倍)
2.人口:約8000万人(2016年、トルコ国家統計庁)
3.首都:アンカラ(2017年、人口約545万人※2004年は350万人)
4.民族:トルコ人(南東部を中心にクルド人,その他アルメニア人,ギリシャ人,ユダヤ人等)
5.言語:トルコ語(公用語)
6.宗教:イスラム教(スンニ派,アレヴィー派)が大部分を占める。
その他ギリシャ正教徒,アルメニア正教徒,ユダヤ教徒等。
7.通貨:トルコリラ(YTL)、補助通貨1TRY=100YKr(クルシュ)
当時の実勢レートに近い1TRY≒90円として計算します。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.10.18です。
2007.01.02(火)
パムッカレからの夜行バスは06:00時、ネヴシェヒルへ到着。
ここで不意にドライバーが「ここがギョレメだ」と言って降ろそうとしてくる。
マージン欲しさにここで降ろし、宿と結託しているタクシーに乗せ換えてギョレメに向かうロンプラ(ロンリープラネット、英語のガイドブック)にも載っている余りにも有名な手口が、私の身にも降りかかる。
だが、生憎と予習済みだった。
『おい、ここじゃないだろう、ギョレメまで乗せろよ!』
寝起きの不機嫌さを含んだ激しい口調で抗議し、ここで降りることなくさらに進んで06:30時、ギョレメに到着。
カッパドキア
アナトリア高原の大奇岩地帯
あまりにも有名な世界的な観光地が今回の目的地だった。
ギョレメのバス停
それにしても引っ掛かりこそしなかったが、手口を知っていたのでわざわざ地元系で評判の良い会社にしていたのに、よもやのそこが仕掛けてきたというのは、朝から決して嬉しい出来事ではなかった。
残念ながらバス会社のオフィスがまだ開いていないのでクレームは後で入れればよいだろう。
ふと辺りを見渡すと、電光掲示の温度表示が0℃となっている。
そうなると感覚も顔が寒いではなく痛いに変わる。
このまま荷物と一緒に外に居続けてもジリ貧になるだけだ。
取り敢えず、聞いていた宿に向かう。
その名もずばりアンドロメダという、奇岩風景に似つかわしいネーミングを持つ、でもやっぱり安宿にチェックイン。
荷物を置いて防寒対策をし直してからイスタンでも会ってた知人と、ここで知り合った新しい旅行者の計4人で直ぐに観光に向かう。
最初に訪れたのはカッパドギアらしい荒涼とした景観を持つと言われるウチヒサルだ。
ウチヒサル
カッパドギアはある程度の広がりを持つエリアの総称だ。
全部見て周るには時間が無いのである程度絞って観光することにした。
その一つが、ここから始まるハイキングルートだった。
上はウチヒサルから広がる景色、中段右と下段:ホワイトバレー
ホワイトバレーを抜けて一度ギョレメを通過する。
ホワイトバレー
次に向かったのはパジャパ―だ
ギョレメからパジャパ―へ
どこをどうやって見ても「ち〇こ」にしか見えない不思議な岩。
歴史と自然の風月が作り出したものが「奇岩バ〇ブ」と考えると世の無常さを感じさせるそんなカッパドギアの昼下がり・・・
パジャパ―
と、折角の光景に下世話な事を考えている場合ではない。
今はこの風景を受け入れて楽しむ時だ。
そしてゼルヴェへ向かう。
岩が崩壊にさらされる30年前まで人が住んで居たと言われるこの地域も、他に類を見ない独特な景観を醸し出していた。
ゼルヴェ
住居エリアだけあり、見所も多く思いの他、時間がかかる。
ただ満足度は高かった。
そして夕暮れ時、ギョレメへ戻るその道中の景色も我々を飽きさせない物だった・・・
ギョレメへ
2007.01.03(水)
見ようとしたら幾らでも見れそうなカッパドキアだが、私の旅行のギアは上がっていた。
今晩出発する予定だった。
その割には遅いスタートで、宿代の8リラと左程変わらない7リラの朝食を摂り、出発したのは10時だった。
朝食とネブジェビル行のバスとその中。
ネブシェビルでバスを乗換、デリンクユへ向かう。
到着したのは11:30時だった。
ネブシェビル→デリンクユ
見たいのは地下宮殿だ。
デリンクユの地下宮殿
ここで一時間半、地下宮殿を見学してからまたネブシェビルに戻り次はチャウシンへ向かう。
ネブシェビルを経由してチャウシンへ
そこで降りたら後はローズバレーを道中に、ギョレメへ戻るだけだった。
チャウシン
夕暮れ時まできっちりと観光し、ギョレメへ戻る。
カッパドキアの見所でまだ残っている物はあったが、必要最小限は見た。
それで十分だった。
ギョレメ
2007.01.04(木)
ギョレメ→アンタキヤ
21時発のバスは不可思議に途中で乗り換えさせられながら、朝08:00時、アンタキヤに到着。
アンタキヤのバスターミナル
さらに乗り換え、東へと向かう。また新しい国の始まりだった。