帰国後投稿、実際のアップ日は2018.02.24です
コソボ共和国
スコピエ⇔プリシュティナ日帰り
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:10,908平方キロメートル(岐阜県に相当)
2.人口:180.5万人(2013年,コソボ統計局)
3.首都:プリシュティナ(人口60万人,推定)
4.民族:アルバニア人(92%),セルビア人(5%),トルコ人等諸民族(3%)
5.言語:アルバニア語(アルバニア人),セルビア語(セルビア人)等
6.宗教:イスラム教(主にアルバニア人),セルビア正教(セルビア人)等
7.通貨:EURO(ユーロ):1Euro≒150円(訪問時のレート、実勢レートと違い、読む人がイメージしやすいように大まかな数字にしてます。)
8.注意:2008月2月17日,コソボ議会が「コソボ共和国」の独立を宣言。訪問後独立につき、国数としてカウントはせず。
※当時の記事は「侍ここにあり…(コソボ自治州)」
2006.11.18(土)
コソボ紛争
旅行者に限らず、この言葉を耳にした者は多いだろう。
かつて「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と言われた旧ユーゴスラビア連邦が分裂して出来たセルビア内の一自治区であるここは、アルバニア人が人口の大多数を占めながらもセルビア人にとっては「民族発祥の地」と考えられているためにセルビアは独立を許そうとせず紛争を繰り返し、現在は国連の統治下に置かれるという複雑な情勢におかれている。
同旧ユーゴ内のモンテネグロがつい最近の2006年6月に独立を果たした事もあり、ここはいつ「独立問題」が再燃してもおかしくない「紛争の種の地」だった。
そんな厄介事のありそうな場所に突っ込むのは何時でも「知らない所を見たい」という旅行者の本能のなせる業だろうか?
1989年ベルリンの壁崩壊、1991年ソビエト連邦解体から世界は猛烈な勢いで変化している。そして旧ユーゴはその激動に巻き込まれた場所で、中でもコソボはそれが色濃く反映されている。
私のようにプロフェッショナルと言われるスペシャルなツーリストなら尚更ここを訪れるのは当然の帰結と言えよう。
朝スコピエを出て州都であるプリシュティナへと向かう。州境で押されたのは「セルビアではなく国連のスタンプ」だ。これもこのあたりの情勢の複雑さの一端を指し示す証左であろう。
私のコソボが始まった。
スコピエ→プリシュティナへ。そして到着したバスターミナル
そして、『石橋を叩いた挙句、横の鉄橋を渡る』と評される程の用心深さを備える私のここを訪れる決め手は、エストニアで知り合った既に東欧諸国を周り終えた友人から『首都ならスコピエから簡単に日帰りで行けますよ!』と言われた事であると付け加えておこう。
『だって面倒なら独立国でもないここに来る理由は無いんだもん・・・』
『・・・』
『・・・・・・』
と、
実はそんなに思い入れは無いけど、ただ単に簡単だったから来た、と本心を表した所で気を取り直して街へ出る
バスターミナルから出てプリシュティナ市街へ
歩き始めたプリシュティナはただの街だった。
誤解を恐れずに書くと、コソボ紛争というイメージとは掛け離れて落着いた場所に見えた、という事だ。
動乱のあった地とは言え、普通に人が生活できなければ街として成立しないし、今まさに現在進行形で紛争中ではないから平穏を保っているのだろう。
それなりに立派な建物もあるし比較的綺麗
コソボで逃してはいけないのは「マザー・テレサ」だ。人物については私が語るまでも無いだろうが彼女はマケドニアのスコピエ出身のアルバニア人で、隣国で直接の関係は無いものの、ここコソボもアルバニア人が多いので、彼女の偉業を讃えるべく「マザー・テレサ通り」があり、彼女の銅像も置かれている。
左は「謎の日常」にアップ時のサムライというレストラン。右がマザー・テレサ像
私はこの地を理解するため、博物館を訪れる事にした。
決して入場料がタダで暇だったからではない。
コソボ博物館。考古学の展示とコソボ紛争に関する物がある。
街の平穏はここのコソボ紛争の展示物がつい最近の出来事で、今まさに独立問題の最中にあるとはとても思えないほどだった。
上左:時計台。上右:ムブレティトゥモスク
それなりに歴史のある旧市街の建築物を眺めつつ、少し街はずれを散策することにした。
上左:救世主キリスト大聖堂、上右:国立図書館
中心街を離れると人も閑散として、どこか牧歌的にすら感じてしまう。
鉄道駅
これで大体の見所は終わりだ。
平穏を保った地方中都市程度の、各段見所の無い街にこれ以上の用は無い、バスターミナルへ向かって、このままスコピエに戻る事にした。
鉄道駅からバスターミナルまで
プリシュティナからスコピエへ
プリシュティナは落ち着いた街だった・・・
それとも落ち着きを取り戻したように見える街だったのだろうか?
ツーリストは何時でも一過性の存在だ。ただその場所に物見遊山に行き、その瞬間に目に入る物を見て、そしてその場所から個人的な主観で適当に何か感じて去ってゆく、ただそれだけの存在だ。
この場所の平穏さがいつまで続くのか?
少なくとも私にはどうでも良い事で、私が訪れるその瞬間だけ、安全であればそれ以上は求めない。
だが、ここの住民はそうはいかないだろう・・・、ここは平穏に見えているだけで、いつでも裏返る危険性を孕んでいる。
旅行者の一過性と住民の連続性。
プリシュティナは普通過ぎたからこそ、そんなことを考えさせられる街だった・・・