日本

 この記事を書いているのは2012年の7月だ。2009年7月から帰国以降こつこつと書き始めて来た「アフリカ見聞録」もこうしてようやく最後を迎える頃、アフリカを出てから既に6年も経過してしまっていた。

 旅行中はモバイルを持ち歩かず、一時帰国時には写真の整理ぐらいで徐々に旅行が記憶の片隅に追いやられ、そして就職して働きながら過去を引っ張り出して書く作業と言うのはややもすれば平板になりがちな日常によいアクセントをつけると共に、渦中にあった時には気付かなかった様な事を写真や日記を見ながら思い出す良い機会でもあっただろう。そう考えると自己満足に過ぎないが「アフリカ見聞録」を完成させた事には十分意味がある事だろう。

 ファーストミッションの期間は2005年12月17日から2006年6月9日の538日間、最初の目的はアフリカの国の首都を行ける限り行くと考えていたのでリビア、ソマリア本土の首都を除く全ての首都に行けたのは予想以上の好結果だった。それに付け加えて直前で行けなくなっていたがサウジアラビア以外のアラビア半島の国も訪れ、また後半に残すとややこしいキプロスやマルタ、イスラエル等もカバー出来、総計64カ国を訪れる事が出来たので充実した旅行だったといえよう。

 記事を書きながら当時の様々な思い出が頭の中をよぎっていった。

 2005年12月18日、カイロに降り立ち始めてアフリカの地に足をつけた時、これから始まる事に対する期待と同程度の不安、その2つをないまぜにしながらやみくもに旅が始まった。当時はビザの取り方や日本人宿の上手い利用の仕方など全く分からず各大使館に突撃しながらスーダンへ向かった。初めてみた地平線まで見渡せる真っ平らな砂漠は私が見たかった砂漠だった、その上をバスが途中で何度もエンストを起こしたので地面にポンチョを引いて夜空一杯の星を眺めながら仰向けに寝転がる。バスが首都のカルツームにつくころには用意していた水が完全になくなり、市内を渋滞しながらようやく到着した時は既にヘロヘロになっていた。このハルツームで年を越して向かったエチオピア、ここを起点にエリトリアやジブチ、ソマリランドを訪れる。ジブチは私にとってはクソだった。JICAの事務所をたまたま訪れた時、そこのスタッフが言っていた愚痴の酷さは忘れない。ジブチとエチオピアを結ぶバスよりも遥かに時間のかかる鉄道を利用した事もジブチ嫌いに拍車をかけたのかもしれない。そしてビビりながら入国したソマリランドは表面上は穏やかな国で人もフレンドリーだった。ちなみにエチオピアではこれまで半年で一周できるとあまり見積もりをしていた私が改めて今までの日数とこれまで訪れた国を計算したら少なくとも一周に一年以上かかると知り愕然とした事を覚えている。

 ケニアは陽気な国だった、知り合った日本人ライダーとソマリランドに一緒にいった友人とナイロビでグダグダと過し結局一度もサファリには行かなかった。そしてウガンダ人、ルワンダ人を間近に見てゴリラトレッキングも必要なしと判断し1年前ぐらいは内情不安定だったブルンジを抜けて大国タンザニアに。ここを起点にモーリシャス、セイシェル、マダガスカル、コモロを訪れる。旅行者に一番人気のマダガスカルの滞在が僅か3日程度で何故かコモロに6日以上も居てしまったのは数多く下した選択の内、最も間違えた物の内の一つに違いない。そしてモーリシャスでは久しぶりにマクドナルドに舌鼓をうったが朝マックがなかったのが残念だ。

 南に進むと進むにつれ物価と文明度が上がっていく。マラウィはサクッと抜けザンビアへ。ビクトリアフォールズ以外に見所の無いこの国の合計滞在日数が1ヵ月を超えたのはアンゴラビザの所為だった、あの担当スタッフはもしどこかで見かけたら生かしておくつもりはない。10日も居れば物価が5割増しになる驚異のインフレ率を超えるジンバブエ、物価の高さとHIV発症率の高さと平均寿命の短さでびっくりしたボツワナ、私がボツワナ人ならもう死んでいる。ポルトガル語圏で独特なモザンビーク、南アフリカ共和国の中にあるミニ国家スワジランドにレソト。初めて見た辺り一面ビルに囲まれたヨハネスブルグはその治安の悪さも含めて驚愕だった。南ア全般と言えば朝マックが食べれ巨大ショッピングモールがあり近代的な建物が立ち並ぶこの国はアフリカでも好きな国の一つになった。有名な喜望峰は行く人間が多くても実際のアフリカ大陸最南端のアグラス岬は人気薄で何人も誘ってみたが結局一人でレンタカーだった。そしてアフリカ大陸縦断は7月、半年以上もかかっていた。戻りがけによったナミビア、砂漠は良かったがそれ以上でもそれ以下でもなく、日本帰国後にレンタカーの速度違反の請求が来て少しメゲたがあの道路でスピードを出すなと言う方が無理があるだろう。

 中央アフリカは旅行がしたくもない旅に変えられた地域だった。最初の国アンゴラは未知と不安からの幕開けだった。物価はロークオリティー・ハイプライスだったが、人は恐ろしく親切ででも喧嘩っぱやい、それに顔がピッコロ大魔王のようだった。コンゴ民主共和国(旧ザイール)、見たかったキンシャサ、ビットワール広場に面した宿を摂りその前の屋台で毎日食べていた。コンゴ共和国のブラザビルはキンシャサ以上に見たい都市だったがどう見てもキンシャサの方が見所が多かったのは御愛嬌だろう。ガボンはあの中では文明国だった。サオトーメ・プリンシペは行っといて良かったが行かなくても影響はないだろう。大国カメルーン、国や都市はそれなりに面白かったが カムエアー(カメルーンの航空会社)にはやられまくった、そこからいった赤道ギニアはマニアック過ぎる国だろう。また賄賂大攻勢にさらされた中央アフリカ、そしてメインストリートのショボサとンジャメナという尻取り泣かせの首都を持つチャドはもう行かなくてもいいだろうと思う。

 西に入ってナイジェリア、久しぶりの英語圏は過し易く各所を走るバイタクのお陰で充実した国だ。ベナン、トーゴ、見所はそこそこ、だがなんとなく過ぎて行った。そしてガーナ、ここも英語圏だが不思議と相性があわなかった。コートジボワールのアビジャンは都会だった。そして首都のヤムスクロは衝撃だった。ブルキナファソはまったりと、ニジェールは首都ニアメの動物園が思い出だ。そしてマリ、世界遺産の多いこの国は横断する形だったので地方都市もよったがそこにいる人は程良く腐っていた。人が殆ど入って無かったリベリア、予想外に景色が良かったシエラレオネのフリータウン、 コナクリでのんびりとしたギニア、何もなかったギニアビサウ、アフリカ大陸2度目の年越しとなったガンビア、そして西アフリカの玄関と言われるセネガル。この国で食ったピザは美味かった。ここから訪れたカボベルデ、そしてシンゲッティが良かった西アフリカ最後の国モーリタニア・・・。

 ブラックアフリカが終わって入った北アフリカ、最初の国モロッコは衝撃だった。迷路の街に歴史ある街並、そして一番感動したのはエスカレーターが普通にあり、それも動いている事だった。そしてアフリカで一番行きたかったアルジェリアの首都アルジェ、白い街並はアフリカで一番気に行った街となり、チュニジアも楽しかった。

 途中ヨーロッパのマルタを経由してまたエジプトへ、そしてここからオイルマネーで潤うクエート、バーレーンを経てUAEへ、ここからオマーンまでは現地人は余り見かけず街を歩いて働いているのは出稼ぎだらけだったがイエメンで状況が一変する。資源の無さから古いアラビア風のチョコレート菓子の様な旧市街が至る所に残されているこの国は見ごたえのある場所だった。

 そしてサウジアラビアのビザが取れなかったのでフライトでヨルダンへ、首都アンマンも良かったがペトラ遺跡がハイライトだ、そして宗教や政治、人種の錯綜地帯であるイスラエルにパレスチナ自治区を抜けて首都が世界で唯一分断されているキプロスへ、またエジプトへ戻り最後は日本人にはドーハの悲劇でお馴染みのカタールを経由して日本へ・・・



 アフリカと一言で表してみるとごつい黒人が居て貧しくて動物がいて自然が多い等といったステレオタイプの印象を受けがちだが地域ごとに様々な特色があった。人に勧めるとしたら大雑把に表すと『動物なら東アフリカ、文明なら南アフリカ、腐敗なら中央アフリカ、人なら西アフリカ、そして歴史なら北アフリカ』を見ればいいだろう。


 いずれにしても私のファースト・ミッションは充実した日々であった・・・



 こうしてアフリカを一周終えて何か変わったのかと聞かれたらこう答えよう。

 何かが変わったわけでは無い、ただ私自身の好奇心が満たされただけだ。

 と。



 そして私はいつかまた旅に出る・・・
 


 

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