帰国後10年以上経ってからのアップなので、実際の投稿日は2017.12.22となります

 

ウクライナ

リヴィウ→キエフ(鉄道)


基礎データ(2017外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:60万3,700平方キロメートル(日本の約1.6倍)
2.人口:4,260万人(2016年 世界銀行)
3.首都:キエフ:人口約300万人
4.民族:ウクライナ人(77.8%)、ロシア人(17.3%)、ベラルーシ人(0.6%)、モルドバ人、クリミア・タタール人、ユダヤ人等(2001年国勢調査)
5.言語:ウクライナ語(国家語)、その他ロシア語等
6.宗教:ウクライナ正教及び東方カトリック教。その他、ローマ・カトリック教、イスラム教、ユダヤ教等。

尚、今回の通貨に関しては実際レートではなく、当時の私の引き出し手数料など考慮したうえで分かりやすく1ウクライナ・フリヴニャ(以下UAH)=25円とします。

2006.10.31(火)

 19:35時、リヴィウを出発してキエフには翌31日、06:15時に到着。既に日は上がっている。
 友人から聞いていたドミトリーが10USドル程度で泊まれる駅内ホテルに向かうも、チェックインの時間が12時で予約も受け付けてもらえず。後でまた来ることにして街に出る事にする。

到着したキエフ駅

ウラジミール聖堂

 目指した先は次の目的国であるモルドバの大使館、宿が決まるまでは時間が余りまくるので、先にビザを取るつもりだった。(※2007年1月1日からビザ無しで入国可となっている)

キエフの街並


 キエフは1500年の歴史があると言われる東スラブ髄一の古都だが、旧ソ連圏であった影響か?街並は古い物がありながらもどこか無機質さも併せ持っていた。

ややスターリンクラッシックさも感じる大げさな建物


市の中心マイダン(独立広場)


下段は国立美術館


 モルドバ大使館には10時頃に到着、必要な書類を提出する。即時と本日中での発給で値段が違っていたので、また夕方にここに来ることにする。駅に戻るにはまだ少し早すぎたから、どうせ街中に出てしまっているので、ついでにしばらく観光を続ける事にした。

市街

丘の上から

下段はウクライナとロシアの友好記念碑的なモニュメント

マイダン

聖ソフィア大聖堂。世界遺産の物件の一つ
上段:黄金の門、中段:国立歌劇場、下段:駅

 駅に戻って次の行先であるモルドバのキシナウ行のチケットを買おうとすると、便数は1日3便ある物の都合の良い2便は既に満席で、最朝3時台発と有難くもないチケットを、それも最初の窓口では取れず「隣を試して」と言われるのを2度繰り返し、同じシステム上の筈なのに何故か計3箇所盥回しにされる不可解さの後でようやくゲットとなる。これでもアフリカよりマシだし早い解決だと感じるのは旅の不条理さに慣れたのか?それとも先進国を離れて久しいからなのか?自分でも良く分からなくなっていた・・・

 丘を上がったり、世界遺産の物件の一つを見たりしてのもあり、この頃には14時になってしまっていた。これで漸くと思って向かった駅内ホテルは既に満室、朝6時台にはここにいたのに残念な結果だった。


 特に当ては無かったが、大型の駅だからなにかないかと探し回ると、旅行代理店も駅内に入っていた。ダメもとでとそこで聞いてみると民泊の斡旋もやっていて、駅近のアパートの一室を1泊100フリヴニャ(約2500円)で紹介してもらう。
 書類を貰って駅を出てそこへ向かうと、アパートのおばさんは英語が全くできなかったが、笑顔で迎えてくれたのでそこで落着くことが出来た。

 しばらく休んでビザを取りにモルドバ大使館へと向かい、ビザをゲットしたころはもう夕方の18時前。折角なので昼間のトレースにはなってしまうが、このまま夜景散策をすることにした。

キエフの夜景


途中で食べたチョコケーキとアパートの部屋


2006.11.01(水)

 夜決して遅かった訳ではないが、朝はいつでもスロースターターだった。

宿からの景色と下段左がアパートの入っているビル。キエフの駅の裏側で徒歩5分程度だった

 10時頃にようやく宿を出てキエフ駅へ向かう。そこでダメもとでとキシナウ行の条件の良いチケットを探すも空振り、ダメもとはやはり駄目という結論も出たので諦めてメトロに乗って観光へ向かう。

キエフの駅とメトロ。メトロの駅は立派でかなり地下に降りるのは緊急時のシェルターも兼ねていそう。


 目指したのは大祖国戦争記念館。丘の上にあり見晴らしが良さそうなのと、そこの上にある巨大な像にも興味があった。
 
上段はホテルサルーテというちょっと変わった建物。




大祖国戦争博物館。


 お目当ての像はローヂナ・マーチ像といい、102mもある。世界の高い像トップ10の4位(2007年、ちなみに1位は牛久大仏の120m)で自由の女神(93m)よりも巨大だ。

ローヂナ・マーチ像


 剣と盾を持つ、この女神像を堪能して次に訪れたのは世界遺産の物件の一つであるペチェルスカヤ大修道院だった

ペチェルスカヤ大修道院


 これで世界遺産物件の狙撃も終えたのでまたぶらぶらと街中を散策する

ロンプラにキメラ・ハウスと書かれた建物




 夜は昨日と同じくマックでセットメニュー。明日が早い事もあり、19時には宿に戻ってのんびりとする。

宿からの夜景。


2006.11.02(木)

 アパートを朝3時に出て駅へと向かう。泊まる時からその時間に出れるか心配しておばさんに散々お願いをしていたのもあって、ちゃんと起きて見送ってくれたのは有難い限りだった。しかしおばさんは英語を全く理解せず、私はウクライナ語は微塵にも話せないのに何とかなるのは、語学が出来なくても旅行は何とか出来るという証左だろう。詰る所、旅行全体を技術と考えると語学はそのツールの内の一つに過ぎないのだ。

 列車は予定通り03:47時に出発、夜行だったのでシーツ代が10フリブニャかかるのを知らず、持ち金の9.5フリブニャで見逃してくれたので何とか助かった。

キエフ駅と列車内の連結部分、灰皿付き

 

 慌ただしかったキエフを終え、次の目的地はモルドバの首都キシナウへと向かった。 

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