スーダン




2004.12.28(火)


次は首都のハルツームへの移動だ。

ここでのルートはナイル川沿いに時間をかけて進むか?それとも鉄道かバスで一気にハルツームへと向かうかの2者択一だ。
ナイル川沿いに行くと不定期なトラックを待つことになるので時間的な見積もりが立てづらい。少なくとも一週間以上はかかるそうだ。アデルに聞いてみると「ナイル川に沿っていった所で本当に何も無いよ」と言われたのでナイル川沿いはカットする。そうなると鉄道かバスどちらを選ぶかと言うのが問題だがアデルが「俺はいつもバスにしているし、バスの方が早いよ、大体24時間くらいでハルツームに着くよ」と言ってきたのでこのまま彼の台詞に乗っかる事にした。

もう一つの砂漠の上を走る列車という選択肢は魅力的だったが所要時間はカルツームまで2-3日、また出発は明日なので1日待たなければならない。そしてワディ・ハルファは想像以上に何も無い所なのでここに1泊してから行くというのはかなりの苦痛だったからというのもバスにした理由の一つでもある。

余談だがその時いた私以外の日本人は一人は私と同様にバスでハルツームへ。カップルの一組は不定期トラックでナイル川越え、バイカー(バイク旅行者)の2人は勿論バイクで、そして後の人は鉄道でと綺麗に分かれていた。

ミニバスで市内に出てバスのチケットオフィスに行ってバスのチケットをアデルに押さえてもらう。
ナセル湖を縦断するエジプトからのフェリーに併せて運行しているのこのバスの出発は夕方らしい。

時間もあるので何もないワディ・ハルファの町を散策するが、ほぼ瞬殺といった感じだ。

そういえばガイドブックにも「スーダンの何も無さを楽しんでください」と書かれるような国だ。北の果ての国境付近の物流のあるここであってもその期待を裏切らない何も無さだった。

バスは夕方くらいに到着。
ただ、これをバスと呼ぶのはちょっとおかしい、どう見てもトラックの荷台を無理矢理座席に改造しているだけだ。砂漠の上を走るので我々のイメージするような普通のバスではアウトらしい。普通のバスと区別するためにここではトラックバスと呼ぶことにしよう。

このトラックバスは1号車と2号車があり私のチケットは後で出発する2号車の方だ。
各バスのスタッフが降りてきて乗客の荷物を屋根に積んでいく。これが思いの他時間がかかる。

1号車は1930時頃にようやく出発、2号車も直ぐに出るだろうと思っていたら、人は集まっているのに積込にやたらと時間がかかって出発したのは2100時頃だった。


夜、積み込みをする砂漠越えトラックバス。座席は荷台を改造している。意識せずにフラッシュを焚いてしまったら積み込んでいたスタッフに「それはやめてね~」と注意された。



スーダン


2004.12.29(水)


バスに乗って最初にビックリしたのはそのスペースの狭さだ。改造された木のベンチのどう考えても2人掛けの所に3人は座らされている。一列6人だが端に座った人間は半ケツ状態のまま移動を余儀なくされるのは辛い。身長が180cmは楽に越えているアデルは前に体を折りたたむようにして座っていて辛そうだ。

そしてそれにも増して厳しいのは夜の寒さだ。冬の砂漠の夜は想像以上に寒かった。乗っているトラックバスには窓が無く、移動による冷気が窓からも入ってくるので体感温度は余計に下がる。現地人は毛布にくるまり、一緒にいた日本人は寝袋にくるまっている。私はというと車内に持ち込んだミニバックの中から着替えの全てを出してレイヤー(重ね着)にする。下は3枚、上は5枚、そしてポンチョ(雨合羽)で体を覆って風を防いで夜をしのいでいた。

車両は途中おかしなことに大分前に出発した1号車を追い抜いたり、また抜かされたりしていながら、そしてちょくちょくスタックしながら進んでいく。
そして寒さが厳しくなり雪山遭難を思い描いて凍死を覚悟し始めた時に朝を迎えた。

朝日が昇ると、徐々にではあるが私の体と心をホカホカと暖かく溶かし始める。
太陽の偉大さを感じる瞬間だ。
だが、体が生き返り始めると、今度は別の問題が発生する。
予想通りというかなんというか、「とにかく人を馬鹿にするくらい熱い」のである。真冬とはいえ明らかに摂氏40度は越えているだろう。乾燥しているので汗をそれほどかかないのがせめてもの救いだ。
朝の8時くらいには夜重ね着していた服を全て脱いで結局ズボンとT-シャツ1枚 だけで日中を過ごす事となってしまった。太陽の偉大さもここまでくると勘弁して欲しい。

乗車したトラックバス



昼頃になったお腹もすいてきたのでアデルに『スーダンの名物は何?』と聞くと「ミート(肉)」と即答される。スーダンはいい国らしい。


日中の景色



私の持つ砂漠のイメージは360度地平線が見えるような真平なものだったので、この景色は私の期待通りであった。


砂漠にどこまでも伸びていく送電線。




日が翳り始めるとまた重ね着だ、昨日経験した夜の寒さは半端ではない。

そうこうしているうちに日付変更線を越える。アデルに聞いてみるとハルツームはまだまだ先らしい。


スーダン


2004.12.30(木)


夜快適に走っていたトラックバスが急に止まる。外に出ると何か車両にトラブルが発生しているらしい。
メカニックと話していると私を日本人と見た彼が日本車を褒めてくれる。自動車産業に関わったことは無いが日本製品がほめられるのは気分がいいものだ。しばらくするとトラブルの原因がはっきりとする。何でもこのトラックバスに使われている日本製のシャフトが外れたらしい。うーん、ほめられたばかりなのに。
そしてしばらくはここで時間がかかるようだ。
私は不安になってアデルに『大丈夫なのか?』と聞くと彼ははっきりと

「大丈夫だよ。おまえも先に出発したトラックバスを何度か見ただろう、あれは2台の位置を確認しながら進んでいてもしどちらかに問題があってもお互い救出出来るようにしているからなんだ。砂漠で孤立したら死しか残らないと俺たちは良く知っているから砂漠では絶対に一人(一台)では移動させないんだ。」

と答えてくれる。そう言えば数時間も前に出発していた一号車と何故か追い抜き追い抜かれをやっていたのはそういう理由があったのか、と納得する。

私はヌビア砂漠の上にポンチョを引いて仰向けに寝転がり星を眺める。砂漠の上には雲が無い。「満天の星」という言葉はこんな空に良く似合っていた。
私は持っていた双眼鏡を出して星を眺める。手に届くような感覚だ。
アデルにも渡して彼に見せると彼も感激しているようだ。

スタックは4時間ほど、アデルの言ったようにどこからともなく支援の車両が現れて部品を修理して出発する。

トラックバスで移動している最中にアデルが私に「さっきの双眼鏡を売ってくれないか?このクオリティーの物はエジプトやスーダンじゃ絶対に手にはいらないんだ。」と話しかけてくる。私の持っている双眼鏡はこれ一つだけだ。2000円くらいで買った物だから高くはないがこの先直ぐに同等の品質の物も手に入らないのも確かだ。私が少し悩んでいるとアデルは「ゴメン、俺のした話は忘れてくれ、君に必要な物だろう」と言ってきた。私は控え目に物事を進める人間に弱い。彼のこの一言が利いた。『アデル、いいよ、君にならあげるよ』といって双眼鏡を彼に渡す。だが彼は「買う」事を譲らず、結局私は3割くらいの値引きをして、そして2本持っていたマグライトの小さい方をそれまで(今も)お世話になっている事のの感謝の気持ちを込めてつけ、双眼鏡を手放す事にした。彼は子供にこの双眼鏡を見せてこれから楽しんでくれることだろう。

朝になり小さな村に到着。
例によって着ている服を全部脱いで身軽になる。ハルツームまではまだまだ時間がかかるらしい。
皆はかるい朝食を摂っていたが私はペプシを買う。砂漠で暑い中で飲む炭酸飲料は最高に上手い。

しばらく停車してトラックバスは出発する。

日中になり時計は1200時を周る。ハルツームへはまだ着かない。
乗客にも疲労の色が濃く見て取れる。アデルに『1日くらいでつくんじゃなかったの?』と聞くと、「俺もこんなに時間がかかるのは初めてだ」と答えてくる。
どうやらアフリカ大陸最初のバス移動は「外れ籤」となったようだ。こんな事なら列車にした方が良かったかもしれない等と考え始めていた。(その後列車に乗った人に聞いたらそれでもバスの方が早かったらしい、また列車も足の踏み場もないくらいにぎゅうぎゅう詰めになっていたそうだ)

停車して出発する時に一緒にいた日本人が「もう乗りたくねぇ~」と愚痴をこぼしたのには笑ったが、確かに一回だけ乗ればいい私達は今回だけ我慢すればいいが何度も利用する現地の人は大変だろう。

そして到着の近づいてきた最後の最後に市内で渋滞に巻き込まれ、1600時にようやくハルツームに到着。24時間の予定が実に42時間もかかる移動となっていた。

降りて自分のメインバックを手にすると、背負うストラップの一部が切れている。試しに背負ってみると切れて短くなった分きつきつになっていて腕が締め付けられるような感覚だ。何とか背負えない事はないが、これでは直ぐに血行障害を起こしてしびれてしまう。私のはキャリー付の3-Wayバッグなので致命傷とはならないが、それでもいざという時は背負えるという安心感がこれで吹っ飛んでしまう。
『こんなことなら荷物を載せる時にしっかりとストラップをバッグに収納しておけば良かった』
と思っても後の祭りだ。
旅行の最初からツイていないことこの上ない。

ここで、お世話になったアデルと別れ、一緒にいた日本人と出入国管理局へ外国人登録(レジストリ)を行いに向かうこととなる。スーダンに入国する外国人は滞在登録をしなければいけないのだ。今日は12月30日、新年を挟んで数日官公庁は休みになるだろうから今日中にやっておく必要がある。

2人でタクシーをシェアして出入国管理局へ向かいレジストリの申請をする。彼らの請求金額をスーダンディナールで持っていなかった相方は、「ドルなら払える」と言っていると何故か減額してくれる。領収書もあるしそれに金額もかかれていたので善意でそうしてくれているとは思うが何事もきっちりと決まっている日本と比べるとこのアバウトさは『こんなんでいいのか?』と考えさせられてしまう。(これも後で聞いた話だがワディ・ハルファで取得した人はボラれているから値引きも出来るのではと言っていた。当時経験が少なかった事も有り確認も十分ではなかったと思うので実際どうなのかは今ではもう分からなくなっている)

さらに両替をしてから市内へ向かいタクシーを降りて料金を払おうとすると明らかに高い値段を請求してくる。
乗る前に料金交渉しなかった我々のミスもあるが、そこは相方が関係のない現地の人を上手く巻き込んで適正に近いと思われる料金で折り合いをつける。

この後しばらくは2人で一緒にホテルを探すが途中で別れて別々のホテルに泊まる事となる。
彼のホテルへの予算は1日10ドル以内。私はというと旅行の最初の方という事や資金がまだ潤沢に会った事、そしてそれ以上に安宿に全くなれていなかった事もありシングルのシャワートイレ付にこだわっていたからだ。
結局現地の中級ホテルに連泊を条件に値引いて1泊20ドルくらいで泊まる事にした。

夜、砂漠越えで埃まみれになったバックをたわしでこすり、優雅にシャワーを浴びようとする。スーダンは砂漠の地だが今は冬だ。日中こそ暑いが夜は涼しいといっていいだろう。こんな時はホットシャワーに限る。

『んっ?』

一つしかない蛇口をひねってみると出てくるのは水だけだ。今は「冬真っ盛り!」、「冬の中の真冬」と言っていいだろう。それなのにシャワーが水しか出ないのは辛い。
何とかお湯が出ないものかとレセプションに行くとフロントの男は平然とした態度を崩さず、満面の笑みで
「スーダンにはホットとベリーホットの気候しかないからお湯はいらないんだ」 と答えてくる。

『うーん、ある意味納得だが・・・』

値切った後だからこの答えには逆らえない。が、現地で少なくとも中級以上のランクであるこのホテルでまさかお湯が出ないとは予想がつかなかった。

これが泊まった上級ホテルの中。うーん、上級って・・・???


シャワーにトイレ、トイレに便座は存在しなかった。



不便は感じたが背に腹はかえられない。手早くシャワーを浴びて何とか部屋で落ち着けるようになると同時に疲れがどっと押し寄せてくる。。


今までフェリーで1泊2日、トラックバスで2泊3日、合計3泊4日の間ひたすら移動を続けていた計算だ。疲労が溜まるのも無理は無い。

私はベッドに横たわって天井を眺める。後はゆっくりと休むだけだ。

そして、これでアスワンから始まったハルツームまでの道のりがようやく終わったという気分になれたのだ。


このアフリカ大陸最初の国境越え、私にとっては砂漠のハードさの洗礼を受ける、そんな移動であった。

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