Category: 激闘の記録!

あらすじ:

舞台国ケニア

時は2005年、地球は核の炎に包まれた・・・

という事実は特に無かったが旅人にとってここアフリカは修羅の大陸と呼ばれ、都市の治安の悪さはしばし漫画「北斗の拳」に例えられる。

中でも「トップスリー」と言われる都市があり、第一位「カイオウの支配するヨハネスブルグ(南アフリカ共和国)」、第2位「羅将ヒョウの支配するラゴス(ナイジェリア)」、そして私が今滞在する第3位「第3の羅将ハンの支配するナイロビ(ケニア)」というのが定説となっていた(現在では多少異なるが)。

救いの無いのが「拳四郎無き北斗の拳の世界」と呼ばれていることであり、「チキン無双」、「比類なきチキン」を売りにするこのプロフェッショナル・デューク東城は「東城史上最高のビビリ方」をして入国を果たしたのだが、そこに一人の「漢」が現れた。


「ファルコ」を名乗るこの漢、果たして拳四郎無きこの世界の救世主足りうるのか?

何もしない!ゴルコサーティーワン!!!


舞台マップ





第1章:ナイロビ到着

ナイロビには2005年3月2日の火曜日に到着、昼頃に到着出来たので、特に問題も無く、治安の悪いダウンタウン地区にある「ニューケニアロッジ」という安宿に無事到着して宿をとることが出来た。本来「プロフェッショナル」を名乗る私にはこういう場所にあるホテルに宿泊するのはあまり気が進むことではなかったがここは現在日本人宿と言われており、情報を殆ど持たずに今まで来てしまった私にとっては情報ノートの存在や他の日本人旅行社から生の情報が聞けるかもしれないということも手伝ってここでの宿泊を決めていた。

到着初日に早速逆方向から来た旅人と会い、お互いの情報を交換して有意義な時間を過ごせ、またバイクでユーラシアからアフリカへ入ってきた「ユーゾウ氏(仮名)」と言う知己も得ることが出来た。さらに翌日にはソマリランドまでアディスから私を引率して連れて行ってくれた(当然プロとしてこちらから泣きそうな顔をして「一人じゃ怖いから一緒に行ってください」とお願いした)強兵パッカーの「森田氏(仮名)」が到着したことも手伝って独り身の心細さも解消されることとなった。

またナイロビは東アフリカ随一と言っていいほどの大都会(当社比で埼玉県の大宮駅前以上の都会)だったので、これまでしょぼい都市ばかり見続けてきた「都会派ツーリスト」の私には何もかも新鮮で日中は都心に出てウインドーショッピングをしたり一流ホテルでアイスコーヒー等を飲んで久しぶりの都会生活を満喫し、いつしか「危険都市ナイロビ」の怖さも忘れかけはじめていた・・・


※コンファレンスセンター屋上より撮影したナイロビ中心部






第2章:出会い

3月5日土曜日、ユーゾウ氏と森田氏と私の3人でナイロビ国立公園でウオーキングサファリ(平たく言えば動物園みたいなもの)を楽しんで宿泊していたロッジに戻り、ドミで寛いでいる時の事だった。

ウウォーキング・サファリ。他にも一杯動物がいたがそんなに撮ってない。


このチーターは頭を撫でさせてもらえる。身の危険を感じるので無理矢理さわらせるのは止めて欲しいが・・・





そこに一人の男が現れた。

「あの〜すみません、情報ノートがあると聞いてきたのですが...」

随分と若く健康そうで、強靭な肉体が洋服の上からも見て取れるこの男、しっかりとした応対をし我々の部屋を訪ねたこの彼は大学の4年生であり、卒業旅行としてナイロビでボランティア活動をやってからキリマンジャロを登ってそして日本に戻って就職するという金色のような輝かしい未来を持っていた。「当初アフリカに来る予定が無かったが雪の為に針路を変更して何故かアフリカに来てしまった」等というふざけた理由でナイロビに辿り着いた元植木職人のユーゾウ氏や、バックパッカーとしては歴戦の勇者であり、凄まじい旅歴を誇るもののよくよく考えたらただ無職で放浪しているだけの森田氏、そしてプロフィールを見てもらえればよく分かるが20台の後半にさしかかり、今までの職を辞めて何の当ても無く、どうせ世界を旅行するなら最初にキツイと言われるアフリカを消化試合で済ませようとして来てしまったこのプロフェッショナル・デューク東城と比べても、明確な目的意識を持ち、輝ける未来が広がっている若者は我々に使わされた救世主のように輝いていたと言っても過言ではないだろう。

彼は「拳四郎無きこのナイロビがいくら危険と言ったところでこいつさえいれば大丈夫だ」と、我々に思わせる「何か」を持っており、そして何よりも「キリマンジャロ登山」という肉体的な困難を伴う行為や「ボランティア」等という奉仕の精神等は我々3人には完璧に欠け落ちた所でもあった。

彼を交えてひとしきり盛り上がった後、我々は「明日はナイロビ国立公園のサファリに行くけどどう?」と聞き、その夜は彼と別れて眠ることとなった。



第3章:恐怖のナイロビ

3月6日日曜日、大学生の彼は我々と行動を共にすることとなり、一緒に郊外のナイロビ国立公園へと向かう。若干説明するが、ナイロビ国立公園は5大動物と言われる大型肉食獣こそいないもの、毎週日曜日に公園内を走るサファリバスがあり、23ドルと言うお手軽な値段で半日(実際は3時間ぐらい)サファリを楽しむことが出来る。ちょっとしたサファリを安ツアーでとっても250ドルは超えるのでそれに比べれば破格の安さと言っても良く、「ケニアに来たけどサファリに興味が無く、でも世間体があるから取り敢えずサファリに行ってきた」と言う既成事実を作りたい人には最適のツアーであろう。勿論、このデューク東城、アフリカでサファリをやったのは後にも先にもこの1回だけである。

1400時頃に公園の入り口を出発し1700頃に終了、ビッグ5は見れない物のキリンやシマウマの群れが見れて満足し、またナイロビへ戻る。


ナイロビ国立公園。大型バスで周る。


ジープも可。5大動物(ライオン、ヒョウ、バッファロー、ゾウ、サイ)はこの公園では見れない。


私と森田氏、ユーゾウ氏の3人は食事を買って戻り、大学生の彼はインターネットをやってから戻ると言ったので、市内で別れ宿で落ち合うことにする。

我々が食事を終え、私がシャワーを浴びて部屋に戻ると彼も戻ってきていたがなにやら雰囲気がおかしい、森田、ユーゾウ両氏は彼の話に聞き入っている。どうしたことかと私が話しの中に加わると彼がこう語ってきた。

「いや〜、今すぐそこで首絞め強盗に遭いましてね...、持っていた肩掛けのバッグを盗まれてしまったんですよ」

と言う事だ。我々は状況を教えて貰うために色々聞いたが、彼は快く答えてくれた。

かいつまんで説明すると、大通りからホテルへ向かう道(ホテルから100mくらい、ホテルからでも場所がすぐ分かるくらい近く)に曲がってすぐに6人くらいの男に取り囲まれ、彼の鞄を引きちぎって逃走したという事だ。日没に差し掛かる頃の時間で未だ真っ暗ではなかったので周囲に幾人かは現地の人がいたが、彼が叫んでも誰一人として助けてはくれず、襲った連中は特にあわてて逃走したわけではなく、バッグを手に入れてゆっくりとそこから立ち去って行ったらしい。

彼にとって幸いだったのはいつもはバッグに入れているデジカメを直前にポケットに移し変えていたために実際の被害はバックにメモ帳くらいだった事だろうが...

しかし彼は今被害に遭ったばかりなのに落ち着いて話しているのは流石であり、我々に、「僕の事を情報ノートに残しておいて他の旅行者の方の為に役立てていただいて構いませんよ」とまで言ってくれた。実に立派な男である。もし私が同じ目にあったらショックのあまり一晩中泣くばかりで彼のように何も建設的な意見など言うことは出来ないだろうに...

彼は翌日ボランティアに出発すると言い我々の部屋から出て、後に残された我々は「やはり、ナイロビは危険な街だった」と認識も新たにする事となった。


第4章:そしてナイロビ...

そしてその日の夜、私とユーゾウ氏でロッジの屋上に上がり、ナイロビの恐怖について語りあっていた時だった、

ユーゾウ氏がしんみりとした表情で唐突に私に喋りかけてきた、

「いやぁ〜、やっぱりアフリカは修羅の大陸ですね、ファルコも着いた次の日には殺られてしまいましたからね・・・」


「・・・!!」

私の中にふと閃いた物があった、そうか、北斗の拳の世界、修羅の大陸、そしてアフリカ第3の危険な都市、羅将ハンの支配するこのナイロビ、そこに現れた金色の未来を持つ輝かしいあの好青年....全ての符号がこれで一致した!

そうか、やつは・・・

「金色の将軍“ファルコ”」

だったのか!


我々は部屋に戻った後森田氏にもその話しをし、何故かひとしきり北斗の拳の「ファルコ」の話で盛り上がった後、深い眠りへと落ちていった。

翌日、森田氏が古くて余白が無くなった情報ノートの代わりにと新しい情報ノートを買ってきた。それに私がナイロビの地図をコピーを貼り付けてここに来る旅行者の助けになるように被害に遭った地点や状況等を詳しく説明を入れて記入する。被害例の第一件目は当然「ファルコ」と記入し、その他にも伝聞した情報を少し書き足す。ユーゾウ氏も記憶の整理や説明で我々の力となっていた。

我々3人は

「ファルコの死(別に死んだわけではありません、念の為)を無駄にしてはいけない」

という共通の意識の上に成り立っていた。


そしてその3日後の夜、ボランティアを終えキリマンジャロに出発するために戻ってきた「ファルコ」が我々の部屋を訪ねてきた。

彼がもう一度ここに来るとは実は考えていなかったのでちょっとあせったがそこは同じ旅人、明日からの事を尋ねたりして盛り上がり始めたころ、ファルコの視線がベッドの上の情報ノートに差し掛かった。

「あれっ、情報ノート新しいの作ったんですか?ちょっと見せて下さい」

我々3人は瞬時に固まってしまった。

そう言えば冷静に考えたら被害の再発防止の為に記入し始めたが文章は硬すぎても誰も読まないからと思ってかなり笑える内容にしてしまっていたのだった...

彼が洒落の分かる男ならと祈りつつ、我々が口ごもりながら「どうぞ...」と言って彼に手渡す

そして直ぐに「ナイロビ被害情報のページ」を発見する。

「さーて、彼はどう反応するんだろうか」

我々の心拍数はかつて無いほど高まっている。何とか見逃してくれぃ!!

しかしながら我々の期待する好反応はなく、彼はしばし固まった後悲しそうな声で一言

「どうしてファルコなんですか・・・」

と呟いた・・・

「いっいかん・・・!」

答えらずに固まる我々3人を見て

「もういいです・・・」

と彼は寂しそうに言い、そして静かに部屋から出て行ってしまった。

我々3人は若干自責の念に駆られながら、かといって追いかけるわけでもなく部屋の中で沈黙してしまっていた。

10分くらいたって心が落ち着いて、ようやく3人で普通に話せるようになり、ノートを読んだ時のファルコの無念そうな顔を思い出し、そして去り行く彼の背中を心に焼き付けながら我々は硬く心に誓うのであった。

「ファルコよ、君の死(くどいですが死んでいません)は無駄にしない、君は我々の心の中で生き続ける・・・」

と・・・


※ニューケニアロッジ屋上から撮影したナイロビダウンタウン入り口部の昼と夜


昼は大勢の人がいるが夜はまるでゴーストタウン・・・




勿論ではあるがどう考えても

「ファルコにとって首絞め強盗に遭った被害よりも、知り合ったばかりの旅行者に被害を茶化されてしまって受けた心の傷の方が遥かに深いものである」

という事実は、我々3人にとって一生気付かない振りをしなければいけない“心の重荷”である事は、言うまでもないだろう・・・

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