タジキスタン

ドゥシャンベ→パンジャケント

基礎データ(2021外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.約14万3,100平方キロメートル(日本の約40%)
2.930万人(2019年:国連人口基金)
3.首都:ドゥシャンベ(Dushanbe
4.民族:タジク系(84.3%)、ウズベク系(12.2%)、キルギス系(0.8%)、ロシア系(0.5%)、その他(2.2%)(タジキスタン共和国大統領府付属統計庁)
5.言語:公用語はタジク語(イランのペルシア語やアフガニスタンのダリー語などとともにイラン語派の西方方言群に属する。)。ロシア語も広く使われている。
6.宗教:イスラム教スンニ派が最も優勢。パミール地方にはシーア派の一派であるイスマーイール派の信者も多い。
7.通貨:ソモニ 1Ts=約33円 ※2007年当時、補助通貨はディラムで1Ts=100Td

※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2021.09.09です。


2007.09.01(土)

 ドゥシャンベを1泊で後にしてパンジャケントへと向かう。
 日中高原地帯の景色を堪能し、パンジャケントで少しゆっくりとしてウズベキスタンへ入国する。
 そのつもりだった。

 この時の様子も当時の「謎の日常」「ニエット・ハラショー・キタイスキー(タジキスタン)」に既アップなのでここも写真のみの掲載で逃げ切る事にしよう・・・

07:30頃ドゥシャンベ、トラムを乗り継いでタクシーランクへ。タクシーはロシア製

08:30頃に出発。ドゥシャンベ郊外へ

09:30頃

10:15時頃

10:30時過ぎ。山々の所々に積雪が見える

10:40時過ぎ、3372mのアンゾーブ峠を通過

11時過ぎ。残雪の塊。雪の隣でも暑いのでユニクロ製のTシャツ1枚

12時前。居住区

13:30時頃。またしても工事で足止め

17:40時、ここからさらに待つ羽目に


 結局足止めが終わり出発できたのは19時過ぎ。
 パンジャケントへの到着は23:00時となってしまった。

 その名もズバリ、ホテル・パンジャケントへ簡単に泊まれた(老朽化が進んでいて支払う料金の価値も無いとガイドブックに書かれていて、かつ他の客もいなかったが)のがせめてもの朗報だろうか・・・

2007.09.02(日)

 朝はややのんびりと出て遺跡へと向かう。
 パンジャケントへ立ち寄ったのは、この「ペンジケント古代都市遺跡」が見たかったからなのだ。

 ここにかける熱い思いは、当時の「謎の日常」「ソグド人の遺構にて・・・(パンジャケント:タジキスタン)」に掲載済みなので、ここも写真だけで先に進もう。

09:30時頃。ホテル・パンジャケント

10時前、ペンジケント古代都市遺跡を目指して

ペンジケント古代都市遺跡。入場料どころか入口も特にない。フリースタイル遺跡。

ペンジケント古代遺跡都市は5世紀に起源をもつソグド人の古代都市、ビンジュカートの遺跡

ここは古代ソグド都市の原型を保つ唯一の遺跡


この遺跡から少し離れたサラムズ遺跡は2010年に世界遺産に登録された。


11時過ぎ。パンジャケント市街、水浴びする子供。左下の相棒のエースはアイスを物色中

お昼頃。ワンパターンな見所の一つ、バザール

12:30頃

建物のペイントが面白いので。

14時前


 15:00時、タクシーをハイヤーして国境ヘ向かう。

車中から


 15:30時、国境へ到着。

 やっつけ仕事で終わらせたタジキスタンを後にした

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