シリア
ギョレメ(トルコ)→アレッポ(シリア)
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:18.5万平方キロメートル(日本の約半分)
2.人口:2,240万人(2012年世銀)
3.首都:ダマスカス 171万人(2009年度)
4.民族:アラブ人(90.3%)、クルド人、アルメニア人、その他(9.7%)(2009年 CIA The World Factbook)
5.言語:アラビア語
6.宗教:イスラム教90%(スンニー派 74%、アラウィ派、ドルーズ派など 16%)キリスト教10%
7.通貨:シリアポンド(SPリラとも言う) 1シリアポンド=100ピアストル。100SP≒250円で計算。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.10.21です。
2007.01.04(木)
トルコの国境付近の街、アンタキヤを08:00時に出発して30分、シリアとのボーダーに到着。
私自身はすんなりだったが、他の乗客の手続きに結構時間がかかり、国境を出発したのは2時間後の10:30時だった。
アンタキヤ→国境
これで98ヶ国目となるシリアに入国。
始めたばかりの頃は100は遥かに遠い数字だったが、後2ヶ国と、もう目前だった。
アレッポに到着したのはそれから2時間後の12:30時、 イスタンのツリーで聞いていた、評判の良いホテルの内の一つに首尾よくチェックインする。
左下:オスマントルコ時代の時計塔。右2段:考古学博物館
古代都市アレッポ
人口約167万(2008年)を誇る、シリア第2の都市。
ここは紀元前1800年物昔から人が住み着いていたことが確認できる、歴史ある街だった
新市街
ホテルを出てまずやったのは明日の移動のバスチケットの購入だ。
チケットオフィスが定額以上のコミッションを取ろうとしてきたので断ったが、トルコもここもちょこちょことバス関連で何か仕掛けてくるのが、ヨーロッパから離れた事を感じさせる。
明日の手配が済んだので新市街の街並を歩き、スーク(市場)へと向かう。
新市街
アラビア特有のスークは、現代でありながらどこか中世の感じを残した迷路の街だ。
ただ、モロッコのマラケシュやフェズと比べるとこじんまりとして迷う事は無い。
のんびりと雰囲気を楽しむのには、良い塩梅だった。
スーク
スークを抜けて、アレッポ城へ入る。
アレッポ城。城門は16世紀に建てられ、剃刀1枚通さないと言われている。
アレッポと言えばアレッポ城
あまりにも有名なこの城は、周囲約2.5kmを深さ22mの堀に囲また小高い丘の上にある巨大な要塞だ。
アレッポ城
その歴史は古く、紀元前10世紀にこの丘を利用したヒッタイトの神殿から端を発し、12世紀の十字軍、13世紀のモンゴル軍、14世紀のティムールの侵略に耐えている。
アレッポ城からの眺め
アレッポが360度見渡せる景色もさることながら、城の上もそれなりの広さがあり、いくつかのモスクや博物館まである。
モスクや円形劇場など。
アレッポ城を心ゆくまで堪能した後は、またスークに入り、大モスクを目指す
スーク
元はキリスト教会だったものが転用された、このモスクは715年にワリード一世に建てられた歴史あるモスクだ。
大モスク(ジャミア・ザカーリエ)
ここは異教徒にも解放されており、入場も無料。女性もスカーフをかぶる必要も無い。
大モスク内部
新市街を抜けて次の目的地へ向かう。
新市街
向かったのはキリスト教区だ。
上段右:マロニテ大聖堂
こちらはアルメニア大聖堂
これでアレッポの中心は終わりだった。
新市街
レストランでチキンとライスを食べ、ホテルで寛ぐ。
同宿の日本人がアレッポ石鹸を薦めていたので、じゃあバラ売りで1個下さいとスタッフに聞くと、お試しなら返品になったやつがあるから1個あげるよと思わぬ幸運に恵まれた。
時計塔、夕食、アレッポ石鹸。石鹸は本当に良かった
2007.01.05(金)
9時に朝食を摂り、ホテルを出てバスターミナルへ向かう。
1月のアレッポは雪だった
10:30時、バスは出発。
国境への途中
慌ただしかったアレッポを後に、また次の国へと向かった・・・
※アレッポは、シリア騒乱のアレッポの戦い(2012-2016)で、長期にわたる大規模な市街地戦闘が行われたため、私が訪れた2007年時から大きく様変わりしている。