イラン

シーラーズ→ヤズド(バス)

基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:1,648,195平方キロメートル(日本の約4.4倍)
2.人口:8,000万人(2016年,世界人口白書2016)
3.首都:テヘラン(約800万人)
4.民族:ペルシャ人(他にアゼリ系トルコ人,クルド人,アラブ人等)
5.言語:ペルシャ語,トルコ語,クルド語等
6.宗教:イスラム教(主にシーア派),他にキリスト教,ユダヤ教,ゾロアスター教等
7.通貨:イランリヤル(IRR) 1IRR=100ディナール。10000IRR≒140円で計算。

※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.11.26です。

2007.01.31(水)

 シーラーズのバスターミナルを出発して7時間半、バスはヤズドに到着。
 こうした中途半端な時間だと夜行が使えなくなるのが難点だし、夜に着くとそれだけで行動もし辛くなるのがマイナスだ。
 ただ今回は3人、迷わずタクシーに乗り、狙いのホテル・シルクロードに行き宿をとる。

上はホテル・シルクロードそばのマスジェデ・ジャーメ、イラン一高いと言われる2本のミナーレ(塔)

 長距離移動で夕食を食べ損ねていたのでホテルでサンドウィッチを頬張り一日を締めくくった。


2007.02.01(木)

 夜の到着が遅いと、朝の動き出しも遅くなる。
 特に急ぐ理由が無い時などはそうだろう。

 11:30時に加東氏と一緒に動き出し、バス会社で次の目的地へのチケットを先押えする。

ヤズド市街

ヤズド市街


 その後は観光、今日のメインターゲットはダフメイェ・ザルトシュティヤーン、通称ダフメと呼ばれるゾロアスター教徒の墓場こと沈黙の塔だ。

 郊外にあるのでバスを乗り継いで向かう。

沈黙の塔まで


 沈黙の塔は50m程の丘に建つ、円形の壁で囲まれたスペースだ。
  1930年代のレザー・シャーが禁止するまで、ここでは鳥葬が行われていた。

左上が沈黙の塔。中段以下は塔からの眺め


 現地の若者も数名いたので、ジェスチャーで雑談しながら写真を撮ったりしてその空間を楽しんだ。。

沈黙の塔から


 加東氏とイラン人たちと何だかんだで2時間ほどのんびりと観光してしまう。

沈黙の塔


 動き出しが遅かった所為か?
 観光を終え市内に戻ると既に17:30頃になっていた。

右上はゾロアスター教寺院。遅かったので外から眺めただけ。下段:信号の数字がファルシー(ペルシャ語)


 バスターミナルに着くと大規模な炊き出しをやっている。
 アーシュラーでエマーム・レザーに捧げる羊肉を煮込んでいるらしい。

 加東氏が仲良くなったイラン人から誘われていて、私と壮治氏もご相伴にあずかることにある。

炊き出し。下段はマスジェデやバザールなどの複合施設、アミール・チャグマールのタキイェ

 外国人が参加するのが珍しいのか?
 ひっきりなしに話しかけられ、ご招待だからと愛想よく応対していると、長老が「今日はそんな日じゃないからはしゃいじゃだめだ」と我々に話しかける者たちを窘める事の繰り返しだ。
 ただ、長老たちも我々には優しく接してくれるので居心地は悪くないし、我々に話しかけて怒られる若者たちがかわいそうと思ったぐらいの物だった。

炊き出し風景


 結局お開きまで居て宿に着いたのは0時頃になってしまっていた・・・

2007.02.02(金)

 今日も出足は遅く、12時に加東氏と出発。
 定番観光をと先ずは12エマームの聖廟から初め、アレクサンダーの牢獄、そしてラルヤ・ハウスと訪れる。

12エマームの聖廟とアレクサンダーの牢獄


アレクサンダーの牢獄

ラルヤ・ハウス


 昼食を代わり映えの無いケバブで済ませ、水博物館を訪れ、そしてまた雰囲気の良いホテルで小休止。

昼食

水博物館

メフール・トラディショナル・ホテル。ポットが可愛い。


 市中に出ると丁度アーシュラーをやっていた。

市街

上の写真の下段のメレコ・トラディショナル・ホテルの屋上から見たヤズド市街

アーシュラーの行進の様子


 市中の喧騒を逃れてやや離れた庭園を鑑賞する。
 3000リヤルと言われて『う~ん?』とどうしようか悩むと、何故かタダにしてれたのが不思議だった。

ドゥラト・アーバード庭園

下段は戻ってた市中


 夜はケバブを避けて、昼のも景色鑑賞で立ち寄ったメレコ・トラディショナル・ホテルのレストランでピザ。
 こちらも偏食家の私には定番だが、好きなチーズが食べれるのがポイントの高い点だった・・・

メレコ・トラディショナル・ホテルのピザ。辺りが暗く夜景は今一つ綺麗に撮れず


 ここでエスファハーンからここまで一緒だった大学生の壮治氏がマシュハドに向け出発となった。


2007.02.03(土)

 今日が出発の日ながら、まだここで最大の見所を見ていなかった。

 アーテシュキャデ
 ゾロアスター教寺院で最も重要とされ、異教徒でも見学可能な場所だ。

 ここまで溜めに溜めたのは、別段訳はない、観光ルートで何回か前は通っていたので何時でも来れる感が満載になりついつい後回しにしていただけだった。

 バスが出るのは16時頃なので微妙に早く10:30時に動き出す。
 最初にやったのは、これまでの写真をSDカードからCDに焼くことだ。
 それが終わって満を持してアーテシュキャデを訪れる。

 中には聖火かあり、1500年間炎が絶やされたことが無いという。
 写真撮影したものの、聖火を収納するガラスに思いっきり私が映り込んでしまう。
 顔出しNG(美しすぎて見た人すべてがコンプレックスを持って場合によっては自殺してしまうという理由から)の為、折角の聖火写真が公開出来ないのは画竜点睛を欠いてしまったと言わざるを得ないだろう。

上:ヤズド市街。下:アーテシュキャデ


 想像以上にこじんまりとしたゾロアスター教寺院は瞬殺で終わり、後は泊まっていたシルクロードホテルの中庭でサンドウィッチを頬張って、お馴染みのチャイで出発まで時間を潰す。 

シルクロードホテル


  加東氏と私はインドまでメジャールートで行くことが一致し、立ち寄る場所も被っているのでそこまで道中を一緒にすることにしていた。
 15:30時にタクシーでホテルを出てバスターミナルへ向かう。
 バスは予定通り16時に出発。

ヤズドのバスターミナル。乗ったのは上の水色のバス。


2007.02.04(金)

ヤズド→ザーヘダーン→国境


 ルート上に砂と粘土で造られた古代の要塞都市、世界遺産のバムがあったが2003年時の地震で倒壊しており、またイスタンやこれまであった西へ向かう旅行者たちからイラン東方都市の若者たちの擦れっぷりが酷く、かっぱらいにあったり、殴られたといった話も聞いていたので加東氏と相談し、イランの東方はカットして一気に抜ける事にしていた。

 そしてバムよりさらに東方にある、ザーヘダーンに到着したのは06:30時。
 ここも見学せずに、シェアタクシーに乗り換えて一気にパキスタンとの国境を目指す。

ザーヘダーン


 10:00時、タフタン・ボーダーに到着。
 
 私にとって100ヶ国目となる記念すべきイランは、最後は駆け抜けたがとても充実した国となった・・・

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