イラン

アンカラ→[バス]→ドゥバヤジット(トルコ)→[セルビス]→タブリーズ→[鉄道]→テヘラン

基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:1,648,195平方キロメートル(日本の約4.4倍)
2.人口:8,000万人(2016年,世界人口白書2016)
3.首都:テヘラン(約800万人)
4.民族:ペルシャ人(他にアゼリ系トルコ人,クルド人,アラブ人等)
5.言語:ペルシャ語,トルコ語,クルド語等
6.宗教:イスラム教(主にシーア派),他にキリスト教,ユダヤ教,ゾロアスター教等
7.通貨:イランリヤル(IRR) 1IRR=100ディナール。10000IRR≒140円で計算。

※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.11.08です。

2007.01.20(土)

 アンカラを出発したバスは一夜明け、08:30時、ドゥバヤジットに到着。
 ここでイサク・パシャ宮殿くらいは訪れようと思っていたが、荷物預かりは無く、人の雰囲気も良い感じがしなかったので、そのまま通り過ぎる事にする。

ドゥバヤジット


 9時に国境行のセルビスは出発。
 10:30時にトルコ側の国境街であるギュルブラックへ到着する。
 
 路上両替商のボッてくる如何にも第三世界のメジャールートにありがちな国境を越え、100ヶ国目となるイランに入国。
 そこからバスでまず国境最寄りのバザルガンへ行き、そこで乗合タクシーに乗り換え、マクという町に向かう。
 
国境からマクまで


 さらにマクを13:30時に大型バスで出発し、国境から近い大都市のタブリーズに到着したの17:30時。

マク→タブリーズ


 そこでさらに鉄道のチケットを買い、駅で夕食を摂り出発したのは19:30時だった。

タブリーズ


2007.01.21(日)

 そしてテヘランに到着したのは朝の09:30時。
 1日半以上かかった長い移動がこれでようやく終わりだった。

テヘラン駅


 ここが100ヶ国の首都。
 首都旅行者を目指し始めた頃、100は遥か彼方の数字だったが、ようやくここまで、それも訪れた全ての国の首都を逃すことなくやってきたと考えると感慨深いものがある。

 それも半分以上がアフリカで、まだアメリカも、カナダもブラジルも、憧れのドイツにすら行っておらず。
 またバックパッカー定番のインドや、バックパッカーの登竜門と言われるタイすら訪れずに達成したと考えると、我ながらあまりの歪さに、何やっているんだか・・・、と、思わずにはいられないだろう・・・ 

 ただ感慨にふけってばかりもいられない。街中に出て宿を探すことにした。
 日本人が泊まり易い宿の情報は聞いていたが、少し探し回ってフィロウゼ・ホテルという場所に宿泊を決める。
 雰囲気が良かったのと、オーナーが英語を流暢に話せたのが気に入ったからだ。

 同宿に日本人旅行者がいたので連れ立って外に出て、銀行で両替してから市街を散策する。

テヘラン市街。下はセント・サルキスという正教会系の物


 そしてテヘラン著名なモニュメント、アサーディー・タワーを訪れる。
 登れそうに見えるのに、中に入れないのは興ざめだった。

アサーディー・タワー


 メトロを乗り継ぎ市内に戻る。
 寝台だったので疲労は少ないとはいえ、移動直後でこれだけ動けば、まあ今日は良いだろう・・・

上段:メトロの駅、中段右:スタジアム、下段左:南バスターミナル


 夜、ローカルレストランで食事をしていると、イスタンのツリーとギョレメで会っていた加東氏(仮名)とバッタリと出くわす。
 なんでも日本人宿は以前のホテル・マシュハドからメフールに移っているらしい。
 『明日の夜にでも尋ねるよ』
 といって、別れた。

2007.01.22(月)

 移動の疲労が思いの外あったのか?市内観光に出たのは11時を過ぎてからだった。

宿の朝食とメトロの駅


 最初に目指したのは1979年にパフラヴィー皇帝を国外に追放し、イスラム共和制政体を成立させたイラン革命の指導者ホメイニ師が祀られている廟だ。
 未だ建築中ながら廟と言うには余りにも大規模な、豪奢なモスクは彼がこの国近代の最重要人物であったと即座に分からせる物だった。

ホメイニ廟(上段左はメトロの駅)


 ホメイニ師廟の後は市内に戻り、まずは旧アメリカ大使館を訪れる。
 ここは1979年11月に発生した、アメリカ大使館に対する占拠及び人質事件の舞台だ。
 イランの近代史のみならず世界史上においても重要な場所だろう。

 そして有名な銀行の地下金庫内にある宝石博物館に訪れる。
 ここに来た全ての旅行者から是非と薦められていた場所だけあって見応えは抜群で、撮影禁止の代わりに厚手のパンフレットについつい手が出てしまうほどたった。

旧アメリカ大使館。落書きされた自由の女神の顔がドクロになっている。

 そしてタダだからと郵便博物館を訪れるがこれは微妙だった。
 
上:郵便博物館。下:大学の入口


 さらに市場を見て今日の観光を終える。

ゴレスターン・バザール



 18時にホテル・メフールに行き、色々と情報を教えてもらい、21:30時にみんなで晩飯をしてから別れる。
 充実した一日だった。

2007.01.23(火)

 今日の夜行列車でここを出発する。
 まだまだ見所のあるこの街を、日中の時間をフルに使って観光することにした。

 目指したのはここに来る前から”自分テヘランハイライト”と決めていたトーチャールのテレキャビンだ。

 朝食を摂り、宿に荷物を預けてチェックアウト。
 レセプションの男性から1時間位で着くんじゃないの?と言われていたので10時頃発とのんびりムードでのスタートだったが、そうは問屋が卸さない。
 まずメトロで30分、そこからバスで変な場所で途中下車して別のバスに乗車して、さらに降りてから30分と、市内なのに2時間半の大冒険の末、ようやくテレキャビンのスタート駅に到着したのは12:30時だった。

左上テヘラン市内、右上:良く分からない乗継場所。下2段は降りてから乗り口まで 


 「一番上までいけないかもしれないよ?」
 チケット売りのお兄さんが、私に問いかけたが生憎こちとら今日が最終日だ。
 『行けるところまで行ってみるよ』
 チケットを買って取り敢えず上に向かうことにした。

最初の駅から2つ目の駅まで


 トーチャールのテレキャビンは全長約7.5km、高低差実に約2500mと、モンスター級のロープウェイだ。
 終点は実に3750mの高さにあり、テヘランの標高が1000mを越えているとはいえ、簡単に言えば富士山の1合目から山頂まで、このテレキャビンで一気にいけるような物だと言えば、その化け物っぷりが想像できるだろう。

テレキャビンの終点から、ゴンドラのリフトでさらに上を目指して


 この時の事は、当時の記事(「世界一の...(テヘラン:イラン)」)に書いているのでそちらを参照してもらうとして、後は当時載せてなかった写真も含めて公開しよう。

ゴンドラの終点からまた戻って 




 往復2時間。幸運にも終点まで行け、さらにスキーをするイラン人という想像外のものまで見れたので大満足だ。

 まだ時刻は15時、一旦バスで市の外れまで戻り、サアダーバード宮殿博物館を訪れる。
 宮殿自体はクローズだったので敷地内を散策して楽しんだ。

サアダーバード宮殿博物館


 これでテヘランの観光も終わりだ。
 市街に戻ることにした。

マドゥス広場。左上のKFCの看板がお気に入り


 市街に着いたら夕食を摂り少しネットをしてからホテルに預けていた荷物をピックアップする。 

テヘラン市街と夕食


 そこそこに荷物があったので、シェアタクシーで行こうとするも、シェアさせてもらえず。
 結局ラッシュのメトロ→バスと乗り継ぎ鉄道駅まで移動する。
 大きな荷物で右往左往する私を、親切なテヘラン大学の学生が助けてくれたので、結果オーライだろう・・・
 
テヘラン駅


 22:10時鉄道は出発。

 100ヶ国目の首都、テヘランはテレキャビンの楽しさもあって、満足のいく滞在だった・・・


※旅行当時の記事は「謎の日常」の「世界一の...(テヘラン:イラン)」を参照。

 

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