ミクロネシア連邦
ここまでのルート図
※地図はtravelers cafeへ提供された武揚堂社の物を使用。
観光案内所で貰えるMAP,ポンペイ島と最大の都市コロニア(首都はパリキール)
ミクロネシア連邦 基礎データ(外務省HP2018年より抜粋し一部加筆)
1.面積:700平方キロメートル(奄美大島とほぼ同じ)
2.人口:約104,044人(2014年、世界銀行)
3.首都:パリキール(人口:約6千人)(1989年11月、コロニアから遷都、尚、ここも人口6千人程度)
4.民族:ミクロネシア系
5.言語:英語の他、現地の8言語
6.宗教:キリスト教(プロテスタント及びカトリック)
7.通貨:USドル。1USD≒110円(訪問時のレート、実勢レートと違い、読む人がイメージしやすいように大まかな数字にしてます。)
2018.05.16(水)
常夏の楽園、グアムを早々に切り上げ向かった先はミクロネシア連邦だ。
ミクロネシア連邦は607の島からなる。島は東西に約3200km、南北に約1,200km国家で、4つの州からなる国家だ。
”連邦”の名が指し示すように、この4州(チューク、ポンペイ、ヤップ、コスラエ)という独自の言語や文化を持った別々の地域が一つの国として結びついた連邦国家だ。
グアムからチューク島までの上空から。左上の写真はお気に入り
私が乗っているUA155便はユナイテッド航空のアイランドホッパーと呼ばれる物で、グアムからスタートし、ミクロネシア、マーシャル諸島の島々を経由して最終目的地はハワイとなる。
ミクロネシアが4州独自の文化を持つなら途中降機して刻むという手もあったが、仕事中に無理矢理とっている休暇なのでそこまでの時間は残念ながら持ち合わせてはいない。何時もの通り、狙いは首都だった。
最初の寄港地チューク島(旧トラック島)
40分程度停まっているので降りても待てたが、そのまま機内で待機。
上空から見る環礁の景色は水深に応じた独特の青を醸し出し、見ていて飽きる事がない。
幸福を感じる瞬間だ。
主島ポンペイ島へ
ここでそろそろ今回の渡航先を明かしても良いだろう。
「南太平洋の残りの小国」
これがターゲットだ。
実は昨年、最初に計画したルートだったのだが、時代遅れの核マニアなツーブロックが「グアムを攻撃する」等とブラフをかましていた為、仕事を休んでわざわざ攻撃目標と公言(放言?)されている場所に行くわけにもいかずにカットした経緯がある。
今年に入り、米国と黒電話カットと2ch界隈で言われるこのツーブロックが会談するため、落ち着いた今が狙い目とばかり攻略に向かう事にしたのだ。
13時10分頃、主島ポンペイ島に到着。
雨の中到着したポンペイ島、この旅2ヶ国目、私の様なエレガントなツーリストなら敢えて”マイクロネイシア”とも呼ぶ、新規176ヶ国目となるミクロネシア連邦が始まった。
泊まるホテルは行く前から予約して空港までの迎えも手配済み。
ホテルの名前の入ったプラカードを持った男性を直ぐに発見し、荷物を積み込んで宿に向かう。
この手の旅行も3回目ともなるとそれなりに慣れてきたと言ってよいだろう。
それにここの通貨は米ドルそのままで両替も不要だ。
空港とホテルまで
宿泊するサウスパークホテル・ミクロネシアは空港からほど近い、ポンペイ島最大の町、コロニアにある。
首都狙撃手の私がこの旅最初の国で首都を避けて他の場所に泊まるのは、パリキールは計画首都で政府関係の建物が数点あるだけの場所で特に宿泊施設を持たないからだ。
スリランカの最大の都市はコロンボだが、首都が「スリジャヤワルダナプラコッテ(当HPでの記述はこちら)」という事をイメージしてもらえば分かりやすいだろう。
ここはグアムの記事でも少し触れたが、「地球の歩き方」にも「ロンプラ」にも載っていない国だ。
先に訪れたニウエやナウルより遥かに見所のありそうなミクロネシア連邦が載らないのは、この2ヶ国程珍しくないけど、渡航者がそれほど多くないから、ガイドブックにしても採算が合わないという中途半端さからなのだろうか?(※ニウエやナウルは現在のロンプラや歩き方からは省かれてます)
「じゃあ情報は?」
通信がこれだけ発達した今、以前友人が「ネットに何でも転がっている」と言っていた通り、webをサーフィンすればそれなりの情報は直ぐに集まる。
ここもお馴染みになった「国際機関太平洋諸島センター」からの情報に加え「ポンペイ案内」という在ミクロネシア日本大使館が発行している物までありそれに個人ブログを併せれば特に不自由はない。
加えて私の泊まる宿は日本人経営で、最初に私の応対をしてくれたロペス氏はミチアキという日本人名を持つ日系人で日本の大学も出ているので日本語も普通に話せる。
ガイドブックに載って無いこの国だが、情報を取るのに不自由しない男だった。
『どうするかな・・・』
パリキールまでここから8km程度。予めメールで自転車が借りれるかは問い合わせて、最初はそれで首都を訪れるつもりでいた。
だが、調べるうちに世界遺産「ナン・マドール(ナンマトルとも言う)遺跡」も気になっていた。
そこで彼に相談すると1人ツアー(実質ハイヤーみたいな感じ)でナン・マドールまで往復で80US$、それを島一周に変えてパリキールに寄る一日ツアーにすれば100US$と言う事だった。レンタカーも50US$スタートでガソリン代などを考えると料金的な差はほとんどなくなる。
それなりに起伏のありそうなこの島で、効率的に観光を終わらせるには魅力的な提案だった。
『ちょっと考えるよ』
まだ昼の14時頃だった。
荷物を一度 部屋に置き、取り敢えずコロニアを見る事にした。
散歩しながら町の空気を感じどうするか決めればよいだろう。
ホテル周辺から町まで
空港からここに車で最初にドライバーが言っていたがコロニアはメインストリートが一本だけの町だ。
そこから少しずれると直ぐに閑散としてしまう。
左上がメインストリート。2段目:スペイン壁。3段目左:野球場 4段目右:ドイツ鐘楼
雨はやや小ぶり、折り畳み傘は持っているが開くまでもない、そんな感じだ。
大して見所があるとは思えないメインストリートをのんびりと歩いていく
上右:JICA、2段目右:スーパー
『んっ?』
コロニアはミクロネシア最大の町と言っても、世界的チェーン店等入りようも無い、田舎町だ。そこに見慣れた赤い看板が目に飛び込んでくる。
私の様な「偏食家ツーリスト」は食べれない物が多いから食の楽しみはまず無い、それよりも「自分に食べれるものがあるかどうか」が最優先事項だ。
なので通常なら情緒が無いとか現地の味が食べたいといって敬遠される「世界的チェーン店」は、このプロフェッショナルにはその国での食事を保証する命綱ともいえるだろう。
こんな所にもそれがあるなんて・・・
おやっ!
『・・・』
『・・・・・・』
『コ、”コロニア”・・・、フライドチキン・・・』
間違っては無い、それどころか合っている!
ただ、これを許すならもうKが付けばなんでもKFCだ。
『う、うむぅ・・・』
食事をするにはまだ早すぎる、一度スルーしてまた観光を続ける事にした。
メインストリートから少し奥に入るとご覧の通り
メインストリート。上左:郵便局、右:観光案内所。一番下左は多分ポンペイ州の行政府
メイン、といいつつ1kmに満たない道路を南下しつ、偶に側道に逸れていく。
それでも見て回るには狭すぎる町だった・・・
写真上:スタジアム(野球)。下左はミクロネシア連邦銀行
時刻はまだ17時前20分程、遠出するには遅いがコロニア観光を終えるには少し早かった。
そこでメインストリートを戻りがてら。先ほど気になったショップに寄る事にした。
『KFC・・・』
『・・・』
基本テイクアウトメインのこの店だがテーブルが前に2席あり、そこで食べる事も出来る。
売り子のお姉さんがわざわざ扇風機を用意してくれた。
私の頼んだパックはライス+スープ風の煮込み(聞いたけど忘れた)+フライドチキン2本で5US$。
フライドチキンに白飯は合わないと思っているのでスープでライスを食べ、ラストにチキンを堪能する。
何といってよいか、良く分からないが敢えて言うなら『チキンはチキンだった・・・』
帰り道で見た学校。左下は街中のキオスク
夕食としては早かったので途中夜食変わりにとスーパーにより水やちょっとしたお菓子を買って宿に戻る。
サウスパーク・ミクロネシアの中庭から。
ツアーを取ろうと、レセで話そうとするとミチアキ氏は既に上がっていて明日相談してくれという。
最初に話した感じ、ホテルのスタッフがホテルの車でやるような感じだったので、決まらない事は少し落ち着かないがまあそれで良いのだろう。
ホテルからの夜景。遠目に写った港をアップして。右は冷蔵庫内。
2018.05.17(木)
雨が降ったり止んだりの昨日から少し晴れ間が多く見えそうな朝だった。
ホテル併設のレストラン、ベーコンエッグトーストのセットがある。
エレガントに注文して待っていると東洋系の男性が目に入る。背中に日本語の入ったTシャツだった
レストランからの景色。霞んで写っているのはレンズが曇ったから。
『あら、日本人の方ですか?』
(日本人旅行者が)居なくはないと思っていたが、こうも急だとちょっと不意を突かれた感じとなり、折角こちらから話しかけたのに何か挨拶もぎこちない。
聞けば彼も短期で、今回はポンペイ島メインで4日間ということだ。ナン・マドールの話を聞いてみるとホテルのツアーで既に訪れていて、人がいないので遺跡を2時間独り占めしたといっていた。
結局お互い名乗らず、なんとなくの話をして『じゃあ、私も今日行ってきますよ!』と言って別れる。
レセによるとミチアキ氏が居て、『1周で』と告げると「彼女がホテルの車で案内するよ」と簡単にツアーが決まる。
時間を合わせて9時過ぎに出発。乗客は勿論私だけだった。
「食事は買っていかないとダメよ」
彼女の名前はチャッキーと言った。
最初にガソリンスタンドにより、そこで弁当を買う。『そう言えば・・・』、昨日町中を周って揚げドーナツらしき物を目にしていた。
以前訪れたソロモン諸島でも安価に手に入る揚げドーナツは補給食として丁度良い塩梅になるので簡単に手に入るならと欲しくなり、彼女にそれを告げたら寄り道してくれたので買う事が出来た。
2段目が買った町外れのお店。右側の奥で揚げたてを作っていて10個1ドル。安くて美味しかった。
町を外れて少し経つとチャッキーの知り合いらしい女性が乗ってきた、多分どっかに移動するのに都合が良いからだろう。
日本人の感覚ならハイヤーしたツアー車に、そのドライバーと知り合いであってもツアー客と無関係な第三者が乗り込んできたら即クレームだと思うが、こういった良く分からない国では、彼女の存在が明らかに私のツアーの妨害にならない限り、いちいち腹を立てるような事では無いだろう。結果的に私が見たい物全て、最初に調整したとおりに観れればそれで良い。
やや内陸を走る幹線道路は海を目にする事も少なく、アップダウンはそれなりに多いので、自転車でなくツアーを選択したことが正解だと直ぐ分かった。
最初の目的地、ナン・マドールには1時間半程度で到着。
最初の私有地に通行料1ドル、次の私有地の通行料が3ドル、そして最後に入場料が3ドルというシステムでそれは調べたり聞いたりした通りだが、折角世界遺産を訪れているのにレシートやチケット一つ無いというのが、如何にも牧歌的な南国らしさというものだろうか?
海外の世界遺産、最後に訪れたのは2009年のオペレーション・イリーガルが最後の筈なので実に9年ぶりとなる。
南太平洋の世界遺産は中々行き辛い場所にあり、過去2回のストーリーで訪れようも無かった。
ここミクロネシアは比較的狙い安く、またここを逃すと、オーストラリアを除く南太平洋諸国の島々で世界遺産を訪れる事は無くなってしまうだろう。
要するにここが南太平洋の小国で唯一私が観光する世界遺産なのだ。
ただ、その出足は2番目の私有地の入口で、バックステップを踏んだらコケそうになり、バランスを取ろうと振り返って足を動かそうとしたらその先に猫が居て、身体を捻りながら手をついて踏むのを避けたら右手中指の根元が突き指するという、受傷してから訪問という幸先悪いスタートだった。
それもこれから岩場を歩くからと履いていたサンダルをわざわざトレッキングシューズに履き替え、準備万端にした直後の出来事だったから尚更だった。
入口の看板は日本語併記!こけたのは2段目左の写真の少し前ごろ。下2段はナン・マドールの入口
ナン・マドール、現地語ではナンマトルという発音に近いこの遺跡は、西暦500年頃からおよそ1000年をかけて石で建設さた人工島群の総称で、それぞれの人工島が王宮・神殿・王墓・居住域とした役割を持つ、オセアニア最大規模の複合的な都市遺跡で、「東洋のヴェニス」、「ミクロネシアのアンコールワット」とも言われている。
ここは謎に包まれた遺跡で、伝説では2人の兄弟神が造ったと言われているが、実際最大90トンもある玄武岩を、10km以上離れた場所からどうやってここまで運んで積み上げたのか?現在でも解明されていない。
ロマンを感じさせるこの水上都市の遺構は、プロフェショナルと呼ばれるツーリストが世界遺産ブランク明けに訪れるには、またとない獲物だろう。
観光マップについてる地図。NanDowasというハイライトが上の写真の一番下の入口奥。
先ず真っ先に目に入ったのは中国系の若い女性の2人組(後に別の国で出会い、台湾人と判明)だった。
遺跡独り占めウフフ!
を期待していたので少し拍子抜けしたが、気を取り直して観光する
写真上:ナンドワス。3段目の左は水の中を膝くらいまで濡らしながら渡っていく。
中に入ってこの水上都市を楽しんでいると、ほどなく学生らしき集団が現れる、引率の先生が日本語を学んだことがあるらしく、私に話しかけてきた。彼らはこの国の学生という事だ。
上2段は渡った先から。下2段はまた戻って。
尚、ナン・マドールはコロニアからボートで訪れる事も出来るが、料金は一気に上がり400~500ドルと言っていた
情緒はやや削がれたが、人が集まるのも世界遺産らしいからそれはそれでアリと自分自身を納得させつつ、何だかんだで2時間弱。
かなりガッツリと堪能してしまった。
戻ってチャッキーと、すぐ降りると思いきやずっと同行している連れの女性(以下シークレット)と次の目的地へと向かう。
そこが入口で料金所だと知らないと分かりようも無い、道路沿いのただの商店で、私有地通行料3ドルを払い、横道を10分ほど歩いてその目的地の「ケプロイの滝」へと向かう。
滝へついたら「ここで昼食にしよう」と言われたが、残念ながら私の食事は車の中に置いたままだった。
シークレットが泳ぎ始めていたのでそれで引き上げるのもちょっと悪いと思ったがチャッキーが「最初にハッキリ伝えなかった私が悪かったから行くわよ」と言ってくれたので結局動くことにした。
地方の教会。ケプロイの滝。車内で摂ったお弁当。2ドルで美味しかった!
『次は・・・』
実は昨日から聞いて寄るかカットするか、どうしようかずっと悩んでいた場所だ。
それは「eel(イール)」、要するに「ウナギ」だ。
別に見たい物でも無いし・・・
ただ、その場所が近づいてくるとチャッキーがどうするか聞いてくる。
エサのツナ缶が2ドル弱、敷地内見学料が2ドル。
微妙過ぎる料金設定だが、ここで見るウナギはここでしか見れないウナギ、ポンペイ島で見る一生に一度だけのウナギだと、別にウナギでなくても何でもそうだろうという無理矢理なこじつけで見る事にした。
料金をとツナ缶をどう見ても民家のおばちゃんに渡すとそこの若い男がこっちだよと家裏の川へ案内する。
そしてツナ缶に小さな穴を開け、池に少しずつ中身を流すとそこに向かってウナギが突っ込んでくる。
『おおっ・・・・』
と、いう程でもない。それをしばらく眺めている内に
『俺ってこんな所まで来て何やっているんだろう・・・』
とついつい考え始めてしまった。
ウナギは1~2m程度と大きかった。写真下左がウナギ民家。
気を取り直して向かう先は今回のハイライト、首都狙撃手にはナン・マドール以上のターゲットである首都パリキールだ。
チャッキーに『何があるの?』と聞くと「ちょっと立派なビルが数軒だけ」というのが見所だそうだ。
そして到着したパリキールはその噂に違わず、ビル数軒だけだった・・・
パリキールの入口。政府系の建物。中段右が大統領府、下段左はその回廊。守衛すらいなかった。
『・・・』
『・・・・・・』
『よ、予想通り・・・』
車で来たこともあり、滞在時間は僅か10分程度、この国最大の見所があっさりと幕を閉じた・・・
これで終わり?
ツアーのセットはもう一か所、ネットポイントと言う場所があった。
泳いでOKだったが、ナン・マドールやパリキールで時間を使うと思っていたので、水着は持ってきていない。変わりにちょっと待ってもらって適当に歩いて楽しむことにした。
上2段はパリキールからネットポイントまで。下段2段がネットポイント
ツアーの見所が終わってホテルに戻るだけになったのが16:30時頃。大体見積もり通りの時間だった。
コロニア市内に戻ってシークレットを下ろす。『(コロニアから離れた地方の路上で拾っていたので)大丈夫なの?』とチャッキーに聞くと「旦那さんがコロニアで働いてて彼女をピックアップするから大丈夫よ」ということだ。
結局彼女は何故居たのか?
何となく分かったのは、私の様なツアー客がそれぞれの観光地でどれだけ時間をかけてみるか分からない、チャッキー一人で待つのもシンドイから友達を呼んで付き合ってもらっていたのだろう。
『最初に教えてくれていれば』と思わなくも無いが、チャッキーは常に私を第一優先に考えて動いていてくれたし、シークレットも決してそれを邪魔はしなかった。まあ良いだろう。
少し早かったので朝買った弁当を夕食用に欲しいと告げると、最初に行ったガソリンスタンドでは売り切れだったのでスペイン壁のある野球場近くの路上の屋台に寄ってくれて、そこで無事に買うことが出来た。
サウスパーク・ミクロネシア。部屋からの景色も良かった。
今日は、狙い通り世界遺産も首都も見れ、そして島の一周も出来た。
満足な一日だ・・・
2018.05.19(金)
短期旅行は慌ただしい。
もう今日が出発の日だ。
乗るのは降機したUA155便、昼過ぎにポンペイに到着するこの便の出発は当然昼過ぎだ。
時間があるのでまずはのんびりと朝食を摂る。
食堂。すこしあったかくても景色が良いのでテラス席で食べた。
ホテルの部屋。車は私の送迎&ツアーで乗ったバン
ホテルを11時に出発。空港につき早々にチェックインを済ませ預かり荷物をカウンターへ渡す。
空港までと。雨が少し降ってきた
出発まで少し時間があったので空港とコロニアを結ぶ回廊を少し散歩すると一度止んだ雨がまた降ってきた。
ポンペイ島の天気は変わり易くて読み辛い。観光ハイライトの昨日、雨に遭わなかったのは幸運だったのだろう。
沈んだ船もあった。
空港に戻り、出国審査を受け搭乗口へ。
上左はアライバル(到着)側。右はボーディングゲート。乗り込んだらまた雨が降ってきた
13:30時、私を載せたUA155便は予定通り出発する。
上空からみるポンペイ島の独特な景観は、それが見えなくなるまでずっと目を惹きつけていられるものだった
ポンペイ島上空。
ポンペイ島を離れてしばらく経って次の経由地コスラエ島へ。
ここも降りれたが敢えて機内で時を過ごす。
コスラエ島
これでミクロネシアとはお別れだ。
ツアーとはいえ島を一周し世界遺産も計画首都も訪れた。
この旅最初の新規国家としては上々の出来だろう。
だが・・・
目を閉じてこの国の思い出として浮かんできたのは全く別の物だった・・・
それはちょっと変化球な、どうでも良い赤い看板だったのだ・・・
再度登場、赤い看板
このプロフェッショナル。
ミクロネシアに関して敢えてこう語ろう!
そこは私にとっては計画首都の国でも、世界遺産の国でもない、KFC(コロニア・フライドチキン)の国であった!!
と・・・