トンガ

フィジー→トンガ

※地図はtravelers cafeへ提供された武揚堂社の物を使用。

観光案内所で貰えるMAPの切出し

トンガ この旅7ヶ国目、新規5ヶ国目。トータル180ヶ国目
基礎データ(外務省HP2018年より抜粋し一部加筆)
1 面積 720平方キロメートル(対馬とほぼ同じ、170の島群からなる)
2 人口 約11万人(2016年,世界銀行)
3 首都 ヌクアロファ(2.4万人/2006年)
4 民族 ポリネシア系(若干ミクロネシア系が混合)
5 言語 トンガ語,英語(ともに公用語)
6 宗教 キリスト教(カトリック,モルモン教等)
7 通貨 トンガパアンガ(TOP)※トンガドルとも言う。1TOP≒50円(実際は47円)


2018.05.28(月)

 07:30時ナンディーを出発。
 この旅程初のプロペラ機であるFJ211便は順調にフライトを続ける。
 離陸前にバーキンでセットを食べ、またすぐに機内食だったが、サンドイッチと軽食だったので、腹を満たすのには丁度良かった。

 次の目的地はこの旅最後の新規国家にして180ヶ国目となるトンガだ。
 ここもガイドブック、「地球の歩き方」に載っている(フィジーメインの中の一部ではあるものの)、日本でも知ってる人の多そうな、ややメジャーな国だった。

 2時間程度のフライトで首都のあるトンガタプ島上空へと差し掛かる。
 見える国土はどこまでも平坦だった。
 首都のヌクアロファを遠望しつつ、ファアモツ国際空港に着陸。

 1時間プラスになる時差を加味して10:30時の到着だった。

機内とトンガ上空。アップは首都のヌクアロファ


 入国審査を終え税関を抜けアライバルのターミナルに出ると直ぐにタクシードライバーが話しかけてくる。
 料金は40パアンガ(約2000円)、事前に調査したのと同じ値段だった。
 『考えるから待って』
 といって、取り敢えず両替をする。
 数軒入っている両替所は全て一見して売り買いレートの差が激しく、お得ではないのが目に見えて分かったので、取り急ぎ50オーストラリアドルだけその場しのぎにと80パアンガへと両替する。後は街中のレートに期待するしかないだろう。

 空港に街へ行く公共バスが無いのも事前情報通りだった。
 『でもタクシーで40は高いな・・・』

 ヌクアロファまで20km程度、地図を見ると空港から出て海岸線に当たる幹線道路にマラポという名前がある。
 ここまで行ってバスに乗り換えるのもありかもしれない。

 『マラポまで幾ら?』
 「25だよ(1250円)、ただ今他のお客さん捉まえているからシェアなら25で街まで行くよ」
 『あらっ、そうなのね』

 有難い提案なので、先に助手席に座っていたドイツ人のご年配の女性に『一緒で大丈夫?』と一応断って乗る事にした。

到着した空港。最下段右は王族の家


 街に近づくにつれ、片道一車線の一本道である幹線道路は渋滞気味になったが、ドライバーが抜け道を使いながら1時間程度で町中へ到着。
 
海岸沿い、市の中心のやや南側。


 まだ昼前の11:30時だったが、予約していたサイモンズ・プレイスに無事チェックイン。
 好調な出足だったので、想像以上に広く寛げそうな部屋を横目に直ぐに街中へと出る事にした。

上左がサイモンズ・プレイス


 最初に目指すのはいつだって観光案内所だ。
 首尾よく地図をゲットし、ついでも気になっていたあれやこれやを聞きこんでみる。

左上:観光案内所、海沿い。後はその周辺


 首都の中心、といっても人口3万もいかない都市の事だ。
 宿の周辺は中心部から5~10分も歩かないのに日本だったらどローカルといった趣で、中心部にした所でやや高い建物が数軒ある程度で地方の村といった域を出る物ではない。

多分一番立派であろう政府系ビル。左下は王宮


 空港での両替レートが悪かったので街中でも探したが、似たような物だった。 
 最終的にビザデビットで引き出したが一回当たり12パアンガ(600円)という、意味不明な高額な手数料がかかるのはいただけなかった。

教会にショッピングセンター、そして市場


やや立派そうな建物たち(教会や大学など)


王家の墓と壊れた教会


 市の中心を行ったり来たりで3時間、それも殆どはレートの良い両替所またはATM探しだった。
 これで中心部はほぼ見尽くしてしまう。
 
 『どうするかな・・・』

 観光案内所での聞き込みで気になっているのは2つ
 レンタルサイクルと島内ツアーだった。

 国土が平坦なので自転車で島1周は悪くない選択だが、それで全部周ると100kmは超えてしまう。観光抜きなら問題ないが、それでは本末転倒だ。それに予報を見る限りは雨にも遭いそうだ。
 ツアーはと言うと、ガイドブックや観光案内所のパンフレットにトニズ・ゲストハウスが島内1周ツアーを格安でやっているという事が載っている。中心部から大分離れたこのゲストハウスへは観光案内所から電話してもらうという手も考えたが、アプリMAPS.MEの威力を試す格好のチャンスでもあった。
 今日はまだ時間がある。私は地図アプリを使いながらトニズを探す事にした。

上段はサロテ女王記念ホール。下は幹線道路で、最下段右は途中で食べたケーキ


 GPSを生かしていると電池の消耗が激しいので、時折携帯の電源を入れ、現在地を確認しながら進んでいく。
 もちろんモバイルバッテリーは持っているが、何があるか分からないので極力使わないようにしていた。

幹線道路から奥地へ


 中心部からざっくりと1時間程度だろうか?
 迷うことなくゲストハウスに到着。
 オーナーその人こそ不在だったがスタッフが居たので料金を確認する。
 少し古くなったガイドブックはまだしも、観光案内所のパンフも刷新されていないようで昨年から値上げをして全く安くなくなっていた。

下段2段がゲストハウスとその付近


 『・・・、ツアーは無しだな・・・』

 ガイドや地図にも載ってない、町外れにもアプリで簡単に来れる事は分かったのが収穫と言えば収穫だが、ここに来たことは明らかに徒労と分かったのでまた町に戻る事にした。


空港からのタクシーで通りかかった所を今度は徒歩で。撮影アングルにあまり変化無し。


内側の湾の景色



 車で通った所を歩き直すのは芸がないのかもしれないが、通り過ぎる速度で見える景色は変わる物だし、それに寄り道しながらのんびりいくのも悪くはない選択だ。
 そしてそれ以上に一本道だったので他に選択肢も無かった・・・

町の中心にやや近付いた所


先ほども載せたサロテ女王記念ホールに聖堂。


 時刻は17:00時過ぎ。何となくピザという気分だったので宿に戻っておすすめの安いピザ屋を聞いて外に出る。
 持ち帰りメインのそのピザ屋は悪くなく、デザートのアイスも楽しめた。

上の写真のバシリカから歩いて1,2分の所にあるデリバリーピザ屋で。


 今日一日で首都の最低限は見たと言えよう。
 後は特段急いでやる事もない。
 明日の事は明日適当に考える事にした。
 
夜景は暗すぎて断念したので夜のなり始めの頃。下段は宿と買ったお菓子など。


2018.05.29(火)

 急ぐつもりはなかったが7時過ぎには起きてしまう。
 『このままのんびりというのもアリなのに・・・』

 首都狙撃手の私は首都をみたら他に用は無い。
 ただ、時間がある限り、観光に精を出すのはツーリストとしての本能みたいな物だ。
 8時には宿の朝食を手早く摂り、9時前には宿を出る。

宿の朝食と宿から出て海沿いまで 


 昨日、格安ツアーは断念した。
 天気は不安定なので、レンタルサイクルもあまり良い選択肢ではない。
 一日タクシーをチャーターして周る手もあるが、ハイヤー中に「チップをどうしよう?」とか「ボラれたらどうしよう?」とか邪念が発生して十分に楽しめないから、他に手段が無い限りは例え短期旅行者で簡単にお金が出せたとしてもあまりやりたくはない。
 そうなると公共機関と徒歩を組み合わせた島内セルフツアーという、いつものスタイルが結局残された選択肢だった。

 バスターミナルへと向かい、島の東端にほど近いニウトウア行のバスを探す。
 キョロキョロしている私を女子高生らしき3人組が「どこに行くの?」と気にしててくれて、目的のバスが到着すると直ぐに「あっちよ!」と指し示してくれたので迷う事も無かった。

ミニバス、表示も分かりやすい。島の北側の幹線道路を通ってニウトウアへ。


 最初の目的地はニウトウアに程近いハァモンガの三石塔だ。
 幹線通り沿いで分かりやすく、予めドライバーには伝えていたので迷わず私を下ろしてくれる。

 正式名称をトンガ語でマウイの悲しみを意味するハァモンガ・ア・マウイというこの石は高さ約5m,幅約6m,900kg以上の3つの石灰石で構成された大鳥居で1200年頃の造られた物らしい。
 今現在は古代の暦の為の物という説が有力だが、真実はつまびらかではない。
 
ハァモンガの三石塔。写真上右は駐車場とお土産屋台。最下段右は石の盾


 この謎の建築物に関するロマンに心を揺り動かされるかと思ったが、石は所詮石だった。
 一度見たらそれ以上の物でもなく、また次の目的地に向かう事にした。

 そのままバスを待っても良かったが、折角なのでぶらぶら散歩しながら戻ろう幹線道路を歩いて来た道を戻る。
 バスは幹線道路を往復しているだけで、その内、戻ってくるはずだからその時止めて乗れば良いだろう。

ハァモンガの三石塔からコロンガ方面へ歩いて


 コロンガの村を通りかかっていたころ、朝私を乗せたバスが戻ってくる。
 予想通りの展開だ。
 
 迷わず乗って次の目的地を告げる。
 一度通り過ぎたムッアという町で降りるつもりだった。

コロンガ→ムッア間


 ムッアは13世紀以降、ヌクアロファに首都が移されるまでのトンガ王朝時代の都で当時ラパパと呼ばれていた場所だった。
 その当時を偲ばせるものとしてランギと呼ばれる巨大墳墓が28ヶ所も点在している。
 そのメジャーな物を見学するつもりだった。

幹線通りから少しだけ奥に入った2つのランギが並ぶ場所


 最大な物はパエパエオティレアのランギで底辺70m,高さ4mの方形をした三層式の墳墓だ。
 17世紀初めに28代ツイ・トンガの墓として建てられた物で、使用されている石も長さ5.5m,幅1m,重さ10tという巨大な物が組み合わされている。

パエパエオティレアのランギ。右下の豚は付近で放牧されていた。


こちらは幹線通り沿いの墓地。見た感じ古いランギと混じってそう。


 墓はそれなりに見応えがあった。
 ただ、やっぱり石は石だった。

 ある程度眺めて満足もしたのでまた先に進むことにした。

ムッアからヌクアロファ方向に歩いて


 南太平洋諸国。
 このエリアを周るのに、避けては通れない漢がいる。
 謂わずと知れたといいつつ南太平洋自体がマイナーエリアなので言わないと知れない”キャプテン・クック”がそれだ。
 トンガにも彼は足跡を残しており、ムッアから徒歩30分程度、首都に戻った幹線通り沿いに記念碑が設けられていた。

 時折雨の降る中、のんびりと歩いて記念碑へ到着。
 クックの時代から約300年の時を経て眺めた景色は・・・

 曇天の為悪かった・・・  

キャプテン・クックの上陸記念碑


 『これでトンガタプ東北方の見所は終わりだな・・・』
 このまま途中乗車を狙って幹線道路を降りて待つのも手だったが、一度バスターミナルへ戻る事にした。
 
 時刻はまだ12:30頃。島内観光を終えるにはまだ早すぎた。
 『次は・・・』
 丁度良さそうな見物にホウマの潮吹き穴というのがあった。
 バスターミナルで少し待つとホウマ行のバスが来る。
 乗ってしばらく待つと13時過ぎに出発。
 そして目的地のホウマには14時頃に到着。ブロウホウル(潮吹き穴)の看板があるジャンクションで降ろして貰って後は歩いてテクテクと向かう。
 
ヌクアロファのバスターミナルからホウマへ


 ホウマの潮吹き穴
 テラスのようになった岩壁に幾つもの潮吹き穴があり、最高18mも水が吹き上げるという。
 それが30kmにもわたって続くというのだ。
 
 土産物が数点広げられたテーブルと、観光客が来ても特に商売に入らず談笑する数名のやる気の無い売り子の様子とは対照的に豪快に潮を噴き上げるこの海岸線は中々の見所だった。
 しばらく眺めていると、車が一台入ってくる、現地人のガイドらしき中年男性と白人系の年配の夫婦といった感じの観光客だった。
 『トンガだもんな・・・』
 これまで訪れた所で他に観光客を見てなかったが、決して観光客の訪れない国ではない。あまり居ないので被る事が少ないといった感じだろう。
 ただ、これまで占有していた景色に他者が入ってくるのは、先方には申し訳ないが、あまり気持ちの良いものではなかった。
 
 お調子者の感じのある中年の小太りのガイドが私に話しかけ、良ければ俺のツアーどうと営業を掛けてくる。
 元々ツアーで良ければ最初からそうしているので、『悪いけど・・・』と丁重に断る。

 そして夫婦も占有する時間があっても良いだろうと彼らより少し早くその場を離れる事にした。
 
ホウマの潮吹き穴 


 島を一周したわけではないが、少なくとも厳選してみようとした場所はこれで終わりだった。
 ただ、まだ14:30時、時間が余り過ぎていた。
 少し考えてほんのちょっとだけ気になっていた、ここから首都に戻る途中にある、リアホナという町に立ち寄る事にした。
 バス待ちの手もあったが、どうせ時間潰しだとばかりにと地図で大体4km程度離れたリアホナへ向かってテクテクと歩き始める。
 するとホウマを出て直ぐの所でリアホナに行くという男性が親切にも声を掛けてくれる
 特に警戒したり断ったりする理由もないので有難くこの逆ヒッチに乗っかる事にした。

 リアホナにつく直前にある世にも珍しい筈だがその珍しさが見ても全く伝わらないと言われる3ツ股ココナッツツリー(※ガイドブックではTwinと書かれていたが、現地ではThree headsと書かれていたので3ツ股としてます)に立ち寄って貰って町で降ろして貰った。 


上2段はホウマ、最下段はリアホナで3つ股ココナッツツリー


 この町に寄りたかった理由は3ツ股ココナッツ以上にトンガ唯一のモルモン寺院があるというガイドブックの記述からだった。
 教徒しか中に入れないのは残念だが、明らかに島の他の教会と違った外観を持つこの教会は、一見する価値のある・・・
 もし暇で他にやる事がなくなったらという前提条件付きだが・・・建築物だった。・・・と、思いたい。

 まあ珍しかろうが、そうでなかろうが、中に入れないなら外から一瞥した段階で瞬殺だった。
 これで島で公共機関を使って見たいと思っていた全てが終わったので首都に戻る事にした。

最上段がモルモン寺院。中段はキリスト系の学校。


 町に到着したのは16時頃。
 何もしないのには早すぎるがどこかに観光に出るには灯りの無いトンガではもう遅い、そんな時間だった。
 かと言って、何もやらないには暇すぎるので一度宿に戻って、今度は市内でまだ見れそうな場所を探して観光することにした。

宿と少し歩いて結局目にする何時ものメインストリート


 王宮の裏側(西側)
 何か見れるかも知れない。微妙な期待を胸に散策を続ける

王宮を西側から


 そして特にPRもされていない場所に相応しく、決して悪くはない物の決定打には欠ける、謂わば省略しても問題ないエリアを軽く一周する。

王宮の西側のエリア


少し西まで行ってからまた中心部へ戻る。


 見所が無いのに加え雨が激しくなってきた。
 昨日のピザ屋の隣に別のデリバリー・ピザがあったので今日はそっちでと思ったら、混んで待ち時間が長かったので、結局昨日のピザ屋でメニューを変えて注文することにした。今日は持ち帰りだった。

中心部。ピザの他にミクロネシアで見かけたおにぎりがあったので購入。


 これでトンガは終わりだ。
 明日の出発は午後なのでタクシーの手配をレセのお姉さんにお願いして、後はのんびりとした・・・

2018.05.30(水)

 9時少し前に起きて朝食を摂る。
 チェックアウトは12時、タクシーもその時間でお願いしていたのでまだまだ時間が余っていた。
 空はこの島に来て初めての快晴
 ヌクアロファの港側はまだ見てなかったので、暇つぶしとばかり散策することにした。

朝食。海岸線に出て。


下2段が港


上2段はちょっと良さげな教会


 何とかのんびりと引っ張っても1時間程度で見終わってしまう。
 『う~ん・・・』

 宿に戻って他に何か見所をと探してみると「フファンガルペ」というのが載っている。
 トンガタプ島南海岸でサンゴで出来た自然の橋があり、空港に行く(空港からくる)途中に寄るのが良いらしい。
 試しにレセで聞いてみるとタクシー会社に問い合わせてくれて空港までなら40パアンガ(約2000円)で、ここによると50パアンガ(約2500円)ということらし。手数料がかかるからと多めにお金を下ろしたのに、ツアーを断念していたのでパアンガはかなり余っている。10の差なら買いだった。
 出発時間は12時でも早いので特に変更も必要ない、手配をそれに変更してもらい部屋で待つことにした。

 11時を20分程過ぎたあたりでノックされる。
 なんでも今日は会議があるのでメインストリートが混むと言ってタクシーの運転手が早く来たらしい。
 あまり早く空港に着くのも気が進まないが、遅れるよりは遥かにマシだ。
 『出るよ!』
 とレセのお姉さんの呼びかけに応じた。

 荷物を手早くまとめてドライバーを見ると私を見て少し驚いた感じだった。
 「昨日、ブロウホウル(潮吹き穴)に居たでしょう!」
 『あらっ』
 若干調子の良さそうな、昨日見た現地人がタクシーの運転手だった。

 何となく嫌な予感がしたのでレセのお姉さんに「本当に50パアンガか念押しして。」と聞くことが頭によぎったが、1時間ちょっと前に電話で確認したことを、さらにここで念押しというのも何となく腑に落ちなかったので、そのまま彼のミニバンタイプのタクシーに乗る事にした。

宿からフファンガルペへ向かって


 彼は能弁だった。
 昨日どこにいったか聞いてきて「俺と一緒だったら○○も見れたのに・・・」等、話してくる。
 はっきり言って首都以外興味が無いし、出る間際の人間に言ったら「見逃した!」と残念な想いになるのにその辺りの気遣いはあまり感じられない。
 そしてこれから行くフファンガルペの話になると。
 「昨日俺は島をツアーで周っているけど、あそこはダートで道が悪い。もし、車で行けなかったら空港までの40の料金でそれ以上請求しないけど、行けたら+20で60だ」
 『???』
 値段が電話で聞いた料金から変わっている。ただ、お調子者の彼はその後もひたすら道の悪さや行けるかどうかわからないといった話を続けている。
 『ま、待て・・・』
 『俺はわざわざレセに予め値段を確認して50というから寄る事にしたんだぜ・・・』
 「それを答えたのは今の道の状況を知らないスタッフだったんだ・・・」
 『・・・』
 『・・・・・・』
 こんな事ならレセで再度念押しして、もし話がそこで食い違っていれば違うタクシー会社を手配すれば良かった・・・

 私は溜息をつきながら
 『いや、聞いた話と違うならそこまで見る気のあるものじゃないからいいよ、そんなんじゃ事前に電話してもらって料金を確認した意味もない。寄らないでいいから空港に40で行ってくれ』
 と彼に言い放つ。すると
 「分かったよ、心配いらない、それなら50でやるよ。」
 と答えてきた。
 『・・・』
 『・・・・・・』
  (『出来るなら何故最初からそれにしない・・・』)
 特に口には出さなかったが、何か今一つ納得は行かない。
 因みに最初に自分で調べて、距離や手間から考えたら”60パアンガ”はかかると思っていた。最初からその値段を聞いていたら多分それで問題は無かったと思う。気に障るのは電話で50と本人かどうか分からないが答えているのにいざ乗ったら60に吊り上げようとする性根だった。

 浮かない顔をしている私に彼はまた色々と話を続けてくる。
 大体は道が悪い、行けるかどうか分からない、そんなところに行くという”だから料金あげてくれよ”という話だった。
 そんな彼が「俺が商売で気にするのは実は料金じゃない、お客さんが満足するかどうかだ!」と話してきたのは、矛盾の塊に感じたが。彼には彼の正当性があるのだろう。

 幹線道路を曲がりダートの道を走りフファンガルペの入口からさらに悪くなった道路を行く。
 水たまりが2ヶ所ほどあり、それに差し掛かる度に「どうだい、見ただろう、だから行けるかどうか分からないと言ったんだ」と話しかけてきたら、私の見た感じ彼のいう程酷くなかった。それは後で普通のセダンのレンタカーを借りた観光客が普通に入ってきたことからも窺えることだろう・・・

 そしてわざわざ行ったフファンガルペは、やはり無理してまで行くほどの物では無かった・・・

フファンガルペ。料金に関するごたごたが無くスムーズにいけてたら普通に楽しめる程度に良かった筈。


 フファンガルペを見て車に戻る道すがら、彼は勝ち誇ったような顔で「どうだい、俺が60(パアンガ)って言った理由が分かっただろう!」と言ってくる。かなり微妙なラインだと思っていたので
 『さあ・・・』
 と、私は言葉を濁していた・・・

 空港への車中、彼が私に名刺を渡してくる。
 「昨日も見ていた通り、俺の本業はツアーだ。島を一周してボートで別の島に行ってという通常500パアンガのツアーをこれを持って来れば100でやってあげるよ。さっきも言ったけどお客さんが満足するかどうか?それが俺の一番の関心事なんだ・・・」
 (『そう言うなら目の前の50パアンガをまず50できっちりやってくれよ・・・』)
 と思いつつ、曖昧に『ああ』と答えた。

空港まで


 空港には12:20時に到着。町から通常40分の所、寄り道をしたから60分かかった計算だ。

 そしてここに至るまでの彼の動きに気になった事があった。
 フファンガルペから空港へ、距離的にはそのまま南海岸沿いの道路から行った方が近いのに、わざわざ北側の幹線道路に戻って行き直した事だった。遠回りするメリットはどこにもないので、南海岸沿いは多分道が悪いか何か別の理由があって避けたのだろう。

 そう考えると時間的にも距離的にも40パアンガに寄り道代20パアンガというのが大体適正といった所だろうか?
 私は結局彼に60パアンガを支払う事にした。

 想像以上の満面の笑みで料金を受け取る彼を見ると、良い事をしたという以上に『ボラレた感』が強いのは、私の根がセコイからなのだろうか?いずれにせよ出国間際まで、こんなくだらない事で頭を悩ませてしまったので、それまで特に悪い印象の無かったトンガが、終わり間際であまり良い感じにならなくしまったのが残念だった。

 離陸は14:40時。まだ時間があったので両替をして、空港の屋上がテラスになっていたのでそこで滑走路を眺めて時間を潰す事にした。

空港とテラス


 チェックインを終わらせ、入国審査を終え、ボーディングラウンジで搭乗を待つ。
 やがて飛行機が到着してまた機上の人となった

ボーディングゲート。


 14:40時、私を乗せたNZ273便が離陸する。
 新規国家と言う意味ではトンガが最後だったが、日本への直行便が無いので一旦他の国を絡ませなければならなかった。

離陸して。トンガ上空

 
 上空から去り行くトンガを眺めながら私は感慨にふけっていた。

 トンガはそれほど悪い国ではなかったはずだ。
 だが、最後の最後であまり良い思いをしなかったのでまさに画竜点睛を欠くといった感じだろうか。
 
 『それにしても・・・』

 昔やっていた長期旅行時なら、私は間違いなく60を払っていなかっただろう。
 それが適正と思えたとはいえ、最終的に相手の言い分に折れ、支払ってしまったのはどうしてなのだろうか?
 『短期旅行の気安さ?』
 それだけではないだろう
 『老い?』
 それが正しいのかもしれない。
 2度目の20代最後の1年、もう決して若いとは言えない年齢だ。
 『人として丸くなったのか?それとも弱くなっただけなのか?』
 答えは出ない。 
 ただ、そんな事を考えるようになってしまうほど、昔と変わってしまったのは確かだった。

 それが良いのか?悪いのか?
 私には分からない。
 ただ、一つだけ、はっきりと思い知らされたことがあった。
 
 若くガツガツと旅行していたあの日・・・

 そう、トンガっていたあの頃には、もう戻れないと・・・



-完-

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