アルバニア
ポドゴリツァ(モンテネグロ)→ティラナ(アルバニア)
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:約28,700平方キロメートル(四国の約1.5倍)
2.人口:約289万人(2014年,アルバニア統計局)
3.首都:ティラナ(約61万人)(2015年,国勢調査)
4.民族:アルバニア人
5.言語:アルバニア語
6.宗教:イスラム57%,ローマカトリック10%,正教7%
7.通貨:レク(Lek) 1Lek≒1.5円(2006年当時:実質1.33円程度だったがイメージしやすいように1.5円とする)
※ティラナの記事は当時「謎の日常」の「へっ??コロナット...???(ティラナ:アルバニア)」にアップしているので、そちらも参考に。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.10.01です。
2006.12.17(日)
05:50時ホテルを出てバス停へ向かう。
6時発のバスに乗るつもりだったが中々来ない、おかしいと思って調べてみると何てことは無い、時計が1時間前にズレていただけだった。ただ待ち時間が長くなったものの予定のバスに乗ることが出来たのは幸いだった。
バスは1時間ほどで国境を越える。
95ヶ国目、アルバニアの始まりだ。
そこから30分、バスは最初の目的地のショコドラに到着する。
ウルツィニ→ショコドラ
今日の最終目的地は首都・ティラナ
モンテネグロのポドゴリツァから約150km、車なら2~3時間程度の左程離れていない両国間をつなぐ直行バスは無い。
この乗継ぎだけという選択肢は、ヨーロッパらしくないと言わざるを得ないだろう。
ショコドラ市街
『さてと・・・』
車かバスか?
バスは直ぐの便があった、鉄道は午後、ようするにバスに乗れば鉄道がショコドラを出発するよりも早くティラナに着く。
そんな感じだった。
だが、私が選択したのは鉄道だった・・・
ショコドラ駅
勘違いして欲しくないのは、私は別に鉄道マニアでも鉄道オタクという訳でもない。
ただ、物見遊山の観光客としては、何の変哲の無いバスに乗るよりも国ごとに色が出る鉄道の方が好みだし、それ以上に首都間のダイレクト便が無く乗継になるという、進んだヨーロッパではあまり考えられないちょっとアフリカチックな所から、下手にバスで行くよりレールの上を走るだけなので事故に遭いにくい、と思ったからだった。
冬だからなのか?元々なのか?閑散としたショコドラ駅で適当に暇をつぶしていた。
そしてやってきた鉄道は・・・
ここをヨーロッパとすると規格外の・・・
残念さだった・・・
鉄道
『バッ、バスにしておけば・・・』
一見してこのプロフェッショナルを後悔させる首都への鉄道は、車両のドアや座席の窓ガラスは所々抜け落ち、冬だというのに暖房も無し。
欧州基準、それも比較的グレードの落ちる東欧、旧ソ連圏基準照らし合わせても、別格なボロさだった・・・
12:15時、ショコドラを出発。
この列車の最初の後悔は設備と言うハード面だったが、その次の後悔は”アルバニア人”というソフト面だった。
そのまま直行でティラナに行く人の他、所々で人の乗降りがある。
そして誰かしら私を見つけると、その人の乗車区間中ひたすら話しかけて来るので、鉄道旅行ならではの。のんびりと景色を楽しむ暇もない。
よく言えば人懐っこい、ホスピタリティに溢れているだが、悪く言えばお節介で迷惑だ。
特に早朝に起きて鉄道駅で数時間待ってようやく乗って少しは休みた時などは尚更そうだろう。
彼らは物珍しさから話しかける以上の何かを特にしてくれた訳でもなかったので、ただ鬱陶しいだけだった・・・
ショコドラ→ティラナ、中段は途中でずっと話しかけてきたアルバニア人の中の一人。
車窓からの風景。
この国では先進的な何かが映ることは無い。
日本でいうなら昭和中期、どこか一時代前にタイムスリップしたかのような景色だった。
そろそろティラナかな?と、思った頃に、おそらく以前防衛線であったと思われるトーチカ群が目に入ってきた。
ショコドラ→ティラナ。右下がトーチカ群
バスなら2時間程度の所を、鉄道で4時間ちょっと。
16:30時、ティラナに到着。
もう日が暮れ始めていた・・・
ティラナ鉄道駅、時刻表は手書き
駅から歩いている途中、私をみた現地の若者たちが「チン・チョン・チャン」と言ってくる。
中国人に対する差別用語だった。
異質な人を見て差別してしまうのは、大抵の人間にある事だが、心の中で思うだけにするか?それを面と向かって口にするか?その差を文明化の差と言うなら、ここは明かに未開の地だった。
下2段は街の中心スカンデルベグ広場
2段目左:国立歴史博物館、2段目右:スカンデルベグ像、3段目左:ジャーミヤ・エトヘム・ベウト
鉄道駅から約1時間、ティラナバックパッカーズにチェックイン。
それまで比較的高い宿台を払ってきたのでドミとはいえ12EUROはお得で、他にフランス人が宿泊しているらしいが、部屋は私だけ、管理人も21時には引き上げるので、宿はほぼ無人だ。
セキュリティ的に不安はあるが、これはこれで落ち着けそうだから良いだろう。
もう日も夜となっていたティラナ市街に夜景と夕食探しに散策する。
ティラナ市街
スカンデルベグ広場はそれなりな景色だったが、それ以外はこれといってパッとしない。
スカンデルベグ広場
ちょっと変わった、ファーストフードチェーンがあった。
残念ながら気付いたのは夕食をとってしまった後だったので、明日こそ訪れてみよう。
スタジアムとその付近にあったパクリマックのコロナット
アルバニア、そしてティラナ初日。
ヨーロッパと言うには明かに異質なこの国に、若干の戸惑いを覚えていた。
2006.12.18(月)
ティラナ⇔ベラティ(地図内ではティラーナ、ベラト)往復
08:30時宿を出る。
またしても時計が1時間ずれていた。
そろそろボタンの接触が悪くなってきているのだろうか?
上段左:かつての独裁者ホッジャの記念館。2段目以降はスカンデルベグ広場
スカンデルベグ広場。最下段は市街
09:30時バス停に到着。今日は世界遺産のベラティに行く。
バスは直ぐに見つかり、09:45時に出発。
ここまでは良いスタートだったが、この後市街を30分ぐらい走り回り、お客を満タンにしてからようやくティラナを出発。
明らかにこれは去年アフリカで毎回のように見ていた光景だ。
バスはボロいながらもまあ普通。
目的地のベラティには出発から約3時間後の12:45時に到着。
途中で軽食のピザなど食べたりしていたから、真面目にやっていれば1時間ちょっとで着く距離だったのだろう。
少し郊外のバス停から、見所の旧市街へと向かっていく
ベラティ
旧都ベラティ、古称アンティパトリアと呼ばれるこの街は、オスマントルコ時代の街並が残る、ビザンツ帝国時代から有史に現れる歴史ある街だ。
ベラティ旧市街へ向かって。
またここは、斜面に面した建物が同じ方向を向き、対岸から大量に窓が見える光景から「千の窓の都市」とも呼ばれる独特な景観をしている。このプロフェッショナルと云えどもオープンしている窓は社会のたった一つだけと考えると、如何にその景色が壮観な物か分かる物であろう・・・
旧市街
ただ、最初に見たい景色は「千の窓」ではなく「城塞の上」からだった。
坂を上ってベラティ城へ
俯瞰図。
一概にそこから始めるとは言わないが、可能なら街全体が見える場所に行き、凡その地形を把握し、街を歩きやすくすると共に迷わないようにする。
全景マニアという事もあるが、それと同等に実利的な理由もあるのだ。
城塞内。
城塞内を歩き始めてしばらく、子供がついてきてあれこれと私の世話を焼き始める。
基本1人でのんびりと眺めたいので直ぐに断っても引き下がらない。
『ああ、こんな事もアフリカであったな』
と、追い払うのも面倒なので着いてくるがままにさせていた。
ベラティ城塞内
古代にはイリュリアと呼ばれ、古代ギリシャ、ローマ、オスマントルコの支配を経たこの国は、1914年アルバニア公国として独立以降急激な変化を遂げ、2次大戦後に社会主義国家を経て現在のアルバニア共和国になったのはつい最近と言ってもいい1991年の事だ。
城塞内
社会主義時代にホッジャによる独裁国家となり、無神国家という特殊な施策をし、またソ連、中国と最初は良い関係性だったのがいずれも断行した事で援助も無くなったために鎖国状態となり「欧州最貧国」となったこの国は、共和国になる前後にねずみ講が流行し、1997年、そのねずみ講で国家自体が破綻するという、特殊というかやらかしにやらかし続けた歴史を持つヨーロッパでは稀有な国だった。
城塞内
ベラティの旧市街は整備はあまりされていないが、かつてあったこの国の歴史を忘れさせる程度に雰囲気は決して悪くない。
聖三位一体教会と城塞からの景色
そう、纏わりついて離れない子供さえいなければ。といった感じだった。
城塞から
城塞を一通り見学し、街に降りる。
最後まで纏わりついてきた子供は当然の様に「マネー」と言ってきたが、それを無視して離れていくと遠くから物を投げてきた。
当たる事はなかったが、折角の城塞観光に水を差された感は否めない。
城塞から街へ
ああ、これがアルバニアか。
見たのはこの国のたった一面だけだったが、それで十分だった・・・
ベラティ旧市街を眺めて
滞在時間は2時間半程度。
15:10時、ティラナ行の最終バスに乗った。
ベラティバス停
ティラナには17:30時。
いったん宿に戻り、そして今日こそはとコロナットを訪ねる。
バーガーよりもピザが気になったので、今日の夕食も昼と同じにピザだった。
コロナット
次の目的地へ向かう便の目途が立たなかったのでもう一泊することにした。
特にリクエストしたわけではないが何故か10EUROに値引きしてくれたスタッフは親切だった。
2006.12.19(火)
今日はどうしようか?
少し思い悩んでクルヤという歴史都市に向かうことにした。
10:30時と遅い時間に宿を出る
スカンデルベグ広場
11:00時、簡単にミニバスを見つけるも乗客は私ともう一人だけ。
30分待っても増える気配もない。
折からの雨もあり、結局クルヤは断念する。
下段左がクルヤ行バス
宿に戻り掛け旅行代理店に行くと、それまで他では早朝、それも3,4時発の便しかないと言われていたアテネ行のダイレクトバスが、火、金のみ16時便があるという。宿代は既に払った後だったが、これならアテネに朝着きそうなので、少し考えてチケットを購入することにした。
出発まで予定外に時間が出来たので一度GPO(中央郵便局)に行き、日本へコレクションの地図を送る。ドブロブニクで送ったばかりだったのでそれ程多くは無かったが、ここの窓口は想像以上に非効率的で45分もかかってしまい、また郵便局を出て次の場所へ向かう途中、カレッジ(専科大学)の前を通るとそこの学生が20名ぐらいで「チンチョンチャン」の大合唱をしてくる。
「ああ、今日出るので正解だな」
この国をこれ以上見たいとは思わなくなっていた。
14:30時、朝と昼ならブランチだが、昼と夕なのでランナー?みたいな食事をコロナットで摂る。
狙ってたのはベーコン&ベーコンバーガー。私好みの味だった。
コロナット
ちょっと予想外に時間が押してしまい。
宿から荷物をピックアップしてダッシュでアテネ行のバスが出るホテルの前に着いたのはもう出発間際だった。
下段左:アテネ行の大型バス
バスは23:00時国境へ到着。
30分後にギリシャへ入国した頃、時差が1時間プラスになり日付変更線を越えていた・・・
破綻国家アルバニア
ヨーロッパを感じさせない異質の国
この国の時計の針は、まだ1970~80年代で止まっているようだった・・・