クロアチア
基礎データ(2018外務省HPより抜粋し一部加筆)
1.面積:5万6,594平方キロメートル(九州の約1.5倍)
2.人口:約428.5万人(2012年:クロアチア政府統計局)
3.首都:ザグレブ(2011年:79万人)
4.民族:クロアチア人(90.4%),セルビア人(4.4%)等(2011年国勢調査)
5.言語:公用語はクロアチア語
6.宗教:カトリック,セルビア正教等
7.通貨:クーナ(HRK) 1HRK≒25円(2006年当時:実質22円程度だったがイメージしやすいように25円とする)
※ここからクロアチアのプロチェまでの記事は「激闘の記録」「第15話 完璧な計算(舞台国:ボスニアヘルツェゴビナ・クロアチア)」にアップしているので、そちらも参考に。
※ブログの日付は旅行当時に合わせてますが、帰国後10年以上経てから記事を書いているので実際のアップ日は2018.09.09です。
2006.12.05(火)
スロベニアの首都リュブリャナを出発して次の目的地はクロアチアのスプリットだった。
ここへは一旦ザグレブに戻ってからスプリットというのが一番楽な手段だったが、同じルートを戻る気はせず、大きく迂回しながら周ることにした。ただ、残念ながら直行便は無く、鉄道の乗継だった。
出発してから約2時間半、17:30時に最初の中継地、クロアチア最大の貿易港のあるリエカと言う街だった。
次の中継地への鉄道の出発が19:45時、もう完全によるだったが2時間ちょっとあるので歩き方の地図を眺めつつ、駅近の見所を一気に周っていく。
リエカの夜
夕食は何の捻りも無いマクドナルドのフィレオフィッシュセット、地方都市でも世界的なファーストフードチェーンが簡単に発見出来るのは有難い。
リエカ
リエカを予定通り出発してモラヴィッチへは21:47時に到着、10分も立たない21:55時に出発してオグリンへは22:28時着。
オグリンの出発はそこから2時間、日付変更線を越えた、12/6 00:28時。
見知らぬ場所を刻みながら鉄道で移動するのは、ある程度進んだ地域とはいえ、それなりに気も使うし疲労もするものだった・・・
2006.12.06(水)
私以外にほぼ乗客がおらず、コンパートメントを独り占めしながら、スプリットには07:00時に到着。
昨晩のモラヴィッツ駅にオグリン駅、占有したコンパートメントに到着したスプリット
リュブリャナから17時間。
かなりの長時間移動になっていたが、これが終わりではなく始まりだった。
荷物をコインロッカーに預け、シベニク行の鉄道に乗る。
途中ペルコヴィッチで乗り換え、09:00時に到着。
シベニク
急いでいた目的は1日3世界遺産狙撃の為だった。
このシベニクにある聖ヤコブ大聖堂、近くの古都トロギール、そしてスプリット。
この3つが狙いだった。
シベニク
到着して直ぐに聖ヤコブ大聖堂には向かわず、まずは全景の見える聖アンナ要塞を目指す。
聖アンナ要塞からの眺め。左下が聖ヤコブ大聖堂
全景を楽しんでから聖ヤコブ大聖堂へ
聖ヤコブ大聖堂
中々に悪くない教会だったが、まだ後が控えている。素早く見て周りまた次の目的地を目指す
シベニク
1時間半程観光したシベニクを10:30時にバスで出発して11:50時にトロギールへ到着。
トロギール
古都の趣を昼過ぎまで1時間程度楽しんでからまたバスでスプリットへ向かう。
そしてスプリットへは13:30時頃到着。
観光するにはまだ十分な時間がある、狙い通りだった。
流石にお腹が減っていたので一度ピザを食べてから、また観光へと向かう。
スプリット。左上のハイデュク・スプリットはサッカーチームの名前
ここはディオクレティアヌス宮殿があるスプリットの歴史的建造物群として世界遺産に登録されている。
見所のある旧市街だけならコンパクトにまとまっているので観光にも左程時間はかからなかった。
旧市街と新市街
16:00時頃、メインの見所を終えたので一度鉄道駅に行き、サラエボ行を確認したが便はない。
今度はバス停に行ったが、残念ながらサラエボ行は無い、モスタルならあるという。
少し悩んだが、スプリットはもう見終えてしまったのでここに残る理由はない。
先へ進むことにした。
スプリット市街
出発は17:20時、まだ少しあったのでギリギリまで観光することにした
スプリットで見た夕日
サンセットに夜景。
もうスプリットは十分だろう。
ただ、今日はまだ終わっていない、これから国を変えてボスニア・ヘルツェゴヴィナだ。
「く」の字型クロアチアの国土、その形状が想像以上にルート設定を面倒にしていた・・・